朝倉氏を60年にわたって支えつづけたのが朝倉宗滴です。彼がいたからこそ朝倉氏は他国に恐れられる存在になれたのですが、その眼力は織田信長の器量をいち早く見抜いていたともいわれています。
「治部少(三成)に過ぎたるものが二つあり 島の左近と佐和山の城」と謳われた島左近は「関ヶ原の戦い」で討死したとされますが、生き延びた説もあるようですね。
京都文化博物館で開催されている企画展【ICOM京都大会開催記念】「京の歴史をつなぐ」にいってきました。
京都文化博物館で開催されている特別展「百花繚乱 ニッポン×ビジュツ展」にいってきました。
沢彦というと「岐阜」の命名者として知られていますが、「天下布武」というスローガンの発案者でもあります。
今川義元、徳川家康という才能を育て、武田信玄、北条氏康という大大名とわたりあい「甲相駿三国同盟」を成立させた太原雪斎はもっともスケールの大きい軍師かもしれませんね。
毛利氏に仕えた使僧(外交僧)で、その後は豊臣政権の中枢で活躍した安国寺恵瓊を紹介します。
受験やビジネスにご利益がある……かもしれない、全国にある「落ちない城」を調べてみました。お守りや御城印があるお城も多いので必勝祈願いいかがでしょう。
「関ヶ原の戦い」の際、徳川家康の陣中に随行して合戦日時の吉凶を占った、閑室元佶というお坊さんも立派な軍師なのです。
大友宗麟に仕えた、知る人ぞ知る名軍師、角隈石宗をご紹介します。
蜂須賀小六というとなんとなく毛むくじゃらで大柄なおじさんのイメージがありますが、調略などを担当する外交官としてかなり優秀だったようですね。
織田信長が眠る阿弥陀寺から約300m、同じ寺町通にある本満寺の御朱印をいただいてきました。
徳川家康と本多正信の関係はまさに「水魚の交わり」といった感じですね。「真田丸」のシーンが浮かびます。
伊達政宗の右腕、片倉小十郎の通称で知られる片倉景綱がいなければ政宗の躍進はなかったでしょうね。
織田信長のお墓があるお寺として有名な阿弥陀寺の御朱印をいただいてきました。