徳川家康の天下取りにおいて鳥居元忠の功績があまりに大きかったので、子孫がやらかしたときも改易とならず、減封ですまされてるんですよね。
細川家の菩提寺・高桐院の一般拝観が再開されたので参拝してきました。
瓶割り柴田のエピソードは創作の可能性もあるようですが、柴田勝家という武将がこういう伝説が生まれるようなキャラクターだったことが興味深いですね。
お城といえば桜が有名ですが、じつは紅葉の映えるお城もあるんです。全国のお城から紅葉狩りにオススメのお城を選んでみました。
10日で230kmを走破したという「中国大返し」ですが、なによりすごいのは同時に畿内の諸将へ書状を送り多数派工作をやってのけたことです。
二条城で開催された二条城歴史講座「二条城は誰のものか―明治維新後の歩みをたどって―」を聞いてきました。
島津はそもそも東軍として参加するはずだったんですけどね。流れに翻弄されながらも必死に抵抗した結果が敵中突破である「退き口」だったのかもしれません。
大政奉還というと教科書によくある有名な「大政奉還図」を思い浮かべる方も多いと思いますが、あの絵にはまちがってるところがあるってご存知でした?
「関ヶ原の合戦」が数時間で終わらなければ、数か月から数年は全国各地が戦乱に巻き込まれたでしょうね。
秀忠遅参については本隊を温存したかった説とか、意図的だったという話もあるようですが、真田昌幸がこれによって名を上げたことはまちがいないですね。
直江兼続が家康に出したという「直江状」ですが原本は現存していません。写本しか残っておらず、しかも内容が一致していないということから創作の可能性も指摘されてますね。
伊達政宗の遅参(と白装束を着ての謝罪)についてはドラマチックではあるのですが、よく許されたもんだなあと。
伊達政宗の「撫で切り」には批判も多かったようですが、これをやってなかったら奥州統一はもっと苦戦していたかもしれませんね。
戦国時代、下剋上によって多くの大名が誕生し躍進する一方で、没落し滅亡する大名もたくさんいたわけですが、尼子氏の最後はほんとうに時代に翻弄された感じが強いですね。
信長の首があれば状況が変わっていた(味方する武将も多かった)はずという説もありますが、どうなんでしょうね。