仙台藩主・伊達吉村の出生地、宮城県大和町にある「竹亭 大和別邸」をマンガでご紹介します。
今回は石垣の仕上げ(表面加工)についての解説です。「はつり」という言葉を聞いたことがありますか? 最初は風化や火災の被害かと思ったのですが、職人さんの美意識だと知ったときはびっくりしました。ついついさわっちゃいますよね。
現在、東京国立博物館で開催されている特別展「桃山―天下人の100年」に行ってきました。超満足のイベントなので歴史好きなら全員にオススメしたいです。
伊達政宗の孫・綱宗の時代に起きたのが有名な伊達騒動です。綱宗はかなり破天荒な藩主だったようですが、彼が隠居したあとの権力争いが刃傷沙汰にまで発展してしまします。
今回は算木積(さんぎづみ)についての解説です。石垣の隅っこの部分の積み方で、とくに江戸時代に築かれた近世城郭の算木積みは芸術的ですよね。ぼくも好きで、ついつい写真を撮りたくなってしまいます。
今回は小休止です。お家騒動が悩ましいのは単純に善悪で整理できない点にあります。勝ったほうが正しいかというとそうでもなく、むしろどっちが勝っても藩の弱体化につながるケースが大半であることが悲劇ですよね。
今回は石の積み方による石垣の分類についての解説です。この記事でも写真で紹介されていますが、江戸城には切込接布積みのようなきれいな石垣のほか、亀甲積みなどの変わった石垣も見ることができるので、石垣観察にはかなり向いてるお城なんですよね。
茶人であり、また豪商でもあった今井宗久は信長からはさまざまな特権を与えられ、銀山支配や鉄砲製造を通じて天下統一事業を支えました。おそらく光秀ともさまざまなやり取りがあったと思うのですが、記録には残っていないようです。
熊川城を訪問した際、どうして京に住んでるエリート官僚の細川藤孝が沼田氏の娘と結婚したのかと尋ねたらおもしろいエピソードを聞けたのでご紹介します。
出る杭は打たれるといいますが、濡れ衣に近い処罰を受けたのが本多正純です。釣天井の事実などなかったのに「宇都宮釣天井事件」と後世にまで語られるのは不憫ですね。
今回は石垣の加工による分類についての解説です。野面積み、打込接ぎ、切込接ぎ、は基本的には時代の古い順ですが、江戸時代でも野面積みが使われてたりするので、積み方だけで築造年代の判断はできないそうです(とくに修復などもとの石をリユースする場合…
前回の大久保長安事件の余波のひとつが里見家の改易です(表向きは移封)。その背景として「大坂の陣」に向けての見せしめと、江戸に近い外様大名を排除したいという幕府の狙いがあったようです。
今回は石垣の構造についての解説です。根石や裏込石くらいは知っていたのですが、積石や飼石ははじめて知りました。石垣の構造も詳しく教わると奥深いんですね。いかに崩れないように積むかという、知恵の結晶という感じがします。
大久保長安事件はまだ家康が存命中に起きた幕府による粛清事件ですが、その背景には長安を庇護する大久保忠隣と本多正信の派閥争いや遺恨があったようです。大久保家は御家断絶は免れたものの、ここから全国を転々とするんですよね。
今回は土塁の種類についての解説です。腰巻石垣(こしまきいしがき)は石垣じゃなく土塁の分類なのか。まあたしかにそうかも。彦根城の腰巻石垣はわかりやすいので城郭検定などの問題でもよく出題されてますね。