お家騒動に発展してもおかしくない状況ながら見事に改革を進めた名君に細川重賢がいます。「肥後の鳳凰」と称された彼が見事だったのは抜擢した在野の人材を最後まで信じて任せた点にありました。
歴史的には「春日局の父」として有名な斎藤利三ですが、生年が不明な点や主君を比較的近いところで変えている点、そして中途組なのになぜ主君に重用された点など、光秀との共通点が多い人物です。
江戸時代屈指の名君とされる上杉鷹山ですが、そんな彼にもお家騒動に巻き込まれた経験があります。しかし彼の場合は前藩主で養父の重定が改革を支持してくれたことで事なきを得ます。ケネディ元大統領が鷹山を尊敬していたのは知りませんでした。
現代においても状況が悪化すれば実力主義を重んじ、有能な人物に権限を与えて改革を試みますが、それは派閥争いの火種となり、江戸時代ではお家騒動に発展することとなりました。
幕末の薩摩藩で起きた「お由羅騒動」は「篤姫」や「西郷どん」などの大河ドラマでも扱われた有名なお家騒動です。祖父・重豪と似た息子を持ってしまった斉興の苦悩もわからなくもないという気がします。
二回つづけて薩摩藩におけるふたつのお家騒動を紹介します。まずは薩摩藩に大借金をつくった島津重豪とその息子・斉宣との対立から起きた「近思録崩れ」と呼ばれるお家騒動です。
押し込められる藩主が全員暗愚であったかというとそうでもありません。たとえば岡崎藩主・水野忠辰のケースでは、改革を望まない保守的な家臣たちによるサボタージュとクーデターであったと考えられます。
もっとも有名な「藩主押込め」の事例がこの福井藩主・松平忠直のケースかもしれません。大坂夏の陣では真田信繁らを討ち取るなどの武功を上げた忠直ですが、元和偃武の世では活躍の場がなかったのかもしれませんね。
細川ガラシャという名前のほうが有名ですが、明智光秀の娘・たまはあるいは父以上に波乱万丈な人生を送った人です。一般には三女とされることが多いのですが、このドラマでは次女の設定となっています。
家臣による藩主の強制的な隠居を「藩主押込め」と呼びます。戦国時代なら暗愚な主君だとこれ幸いと下剋上も起こせるのですが、江戸時代でそれをやると藩そのものが取り潰されてしまうため、現実的な解決手段として藩主を隠居させ、新藩主を擁立するというこ…
足利将軍家の血を受け継ぐ喜連川家はじっさいは5千石にもかかわらず10万石格の大名として扱われていました。しかし豊臣秀吉によって再興された家でもあり、そのことも改易の理由だったのかもしれませんね。
大大名・加藤家が改易された理由は明らかではないのですが、小倉藩主でのちに加藤家に代わって熊本藩主となる細川忠興が忠広を「狂気」と断じているなど、加藤家側にも危険人物と思われる(少なくともつけこまれる)フシがあったようです。
「津和野騒動」はかつての尼子氏旧臣たちと、新参の藩主直臣との対立が生んだお家騒動ですが、もとはといえば3歳の子どもを15歳と偽って報告した生母の光明院とそれを黙認した幕府のせいで起きたといえます。
マンガの主人公でおなじみの仙石秀久を祖とする出石藩・仙石家で起きた「仙石騒動」は重臣派閥が争い、シーソーゲームを繰り返しながら、最終的に老中首座を狙う水野忠邦に利用されるという悲しい結末を迎えます。
来年の年賀状はくまモンたちにも出してみませんか? くまモン、ひこにゃん、わん丸君に送る際の宛先をまとめました。