攻城団ブログ

お城や戦国時代に関するいろんな話題をお届けしていきます!

【歴代征夷大将軍総覧】室町幕府15代・足利義昭――信長に縛られた、最後の将軍 1537年~1597年

信長に救われ、信長と争った室町幕府最後の将軍が足利義昭です。挙兵のタイミングさえ見誤らなければ、信長をたおして将軍中心の政権樹立に成功していたかもしれませんが、それはそれで新たな群雄割拠の時代になっていた気もします。

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【歴代征夷大将軍総覧】室町幕府14代・足利義栄――一度も京へ入れなかった将軍 1538年~1568年

13代将軍・足利義輝の暗殺後に三好氏によって擁立されたのが足利義栄です。彼は摂津で将軍に就任すると、一度も京に入ることのないまま病死した悲劇の将軍でもあります。

【歴代征夷大将軍総覧】室町幕府13代・足利義輝――非業の死を遂げた剣豪将軍 1536年~1565年

剣豪将軍としても知られる足利義輝は父とともに逃亡していた近江の地で将軍に就任します。三好長慶と対立したためなかなか京に入れなかった義輝ですが、幕府の権威を回復するため尽力したすぐれた将軍でした。

【歴代征夷大将軍総覧】室町幕府12代・足利義晴――各地を転々とした、名ばかり将軍 1511年~1550年

足利義澄の子として11代将軍に就任した足利義晴はその人生の大半を京の外で過ごしています。幼少期は播磨で育ち、将軍就任後も近江へ逃亡することが多く、畿内の権力争いに翻弄された将軍でした。

【歴代征夷大将軍総覧】室町幕府10代・足利義稙――念願叶い将軍職奪還! しかし…… 1466年~1523年

鎌倉・室町・江戸の武家政権において唯一、将軍職を再任したのが足利義稙ですが、名前も義材→義尹→義稙とたびたび改名しています。 (今回は第二期についての紹介です)

【歴代征夷大将軍総覧】室町幕府11代・足利義澄――管領の傀儡将軍は京を追われ…… 1479年~1511年

「明応の政変」によって擁立された11代将軍が足利義澄です。しかしその経緯からもわかるように擁立者である細川政元の傀儡だったために反目し合うようになり、最後は京を追われることになります。

【歴代征夷大将軍総覧】室町幕府10代・足利義材――幕府崩壊劇の主役となった「流れ公方」 1466年~1523年

近年、戦国時代のはじまりは「応仁の乱」ではなくその後に起きた「明応の政変」であると言われています。このクーデターによって将軍の座を追われたのが足利義材ですが、彼はただひとり二度将軍となった人物でもあります。

【歴代征夷大将軍総覧】室町幕府9代・足利義尚――遠征の末に倒れた将軍 1465年~1489年

その誕生が「応仁の乱」の原因となったとも言われる足利義尚ですが、悲劇の人でもあります。権力を離さず干渉することが多い両親を避けるように、遠征先の近江から京に戻らず、そのまま25歳の若さで病没しました。

攻城団スタジオの開設準備

攻城団スタジオをつくるにあたって考えたことをまとめました。自宅スタジオってなかなか大変ですね。

【歴代征夷大将軍総覧】室町幕府8代・足利義政――応仁の乱を引き起こした文化人 1436年~1490年

政治に無関心で趣味に生きたとされる足利義政ですが、じっさいには政治にも関わろうとしていたようです。しかし彼の歴史的な業績はなんといっても銀閣寺に代表される東山文化でしょうね。

【歴代征夷大将軍総覧】室町幕府7代・足利義勝――わずか8ヶ月の短命将軍 1434年~1443年

暗殺された父の跡を継いで、9歳で将軍となった足利義勝でしたが、わずか8ヶ月で死去しました。赤痢による病死だったものの父・義教が多方面から恨みを買ったためと噂されたそうです。

【歴代征夷大将軍総覧】室町幕府6代・足利義教――偶然で将軍になり、「万人恐怖」と呼ばれる 1394年~1441年

仏門の身からくじ引きで将軍に選ばれ、「万人恐怖」と評されるほどの恐怖政治をおこない、そして最後は暗殺された、破茶滅茶な将軍が足利義教です。この頃から室町幕府は滅亡に向かいはじめていたのかもしれません。

【歴代征夷大将軍総覧】室町幕府5代・足利義量――政治を行うことなく、父より先に没す 1407年~1425年

17歳で将軍に就任したものの、わずか2年で病没した足利義量は父・義持により殺害された叔父・義嗣の呪いではないかという噂も立ったようです。子どもが若いうちに将軍職を譲り、父が大御所として政務をおこなうスタイルはのちに江戸幕府が踏襲していますね。

【歴代征夷大将軍総覧】室町幕府4代・足利義持――父を否定し、政策を転換 1386年~1428年

足利義満の嫡子である足利義持は父との折り合いが悪く、日明貿易をはじめとする政策を次々と転換させました。義持自身も父同様、隠居して権力をふるおうとしましたが、息子に先立たれてしまいます。

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