攻城団ブログ

お城や戦国時代に関するいろんな話題をお届けしていきます!

【殿様の左遷栄転物語】死後に仕掛けられた罠 加藤清正

家康の養女を継室として娶るなど早くから徳川方についていた加藤清正でしたが、やはり秀吉子飼いの武将ということで幕府から警戒されました。じっさいには清正の死後、息子の忠広の代に改易されるのですが、この経緯もかなり理不尽なものとなっています。

【殿様の左遷栄転物語】幕府に警戒され続けた男 福島正則

「七本槍」の筆頭であった福島正則は家康からもっとも警戒された大名だったのかもしれません。西国大名のパイプ役として重要な役割を担っていたこともあり、福島家は言いがかりのような理由で改易となります。

【殿様の左遷栄転物語】第2章 目指せ「お家再興」 失職したけど地位を回復

第2章では福島正則や加藤清正など豊臣系の外様大名をはじめ、江戸時代初期に改易となり、しかしなんとか再興を成し遂げた大名たちを紹介します。

【殿様の左遷栄転物語】第1章まとめ コネクションこそがカギ

第1章のまとめです。改易されてそのまま消えてしまった大名と、見事に復帰した大名たちとのちがいはどこにあったと思いますか?

【殿様の左遷栄転物語】不本意な褒美を受けた男 吉川広家

吉川元春の三男、吉川広家は関ヶ原の戦いにおいて西軍を裏切り、東軍に味方した武将として知られていますが、彼は主家である毛利家を残すために必死に働いたとも言えます。その後の行動を見るかぎり、広家なりの忠義があったのでしょうね。

足利家の通字はなぜ初代「尊氏」に含まれない「義」なのか

足利義輝や義昭など室町幕府の将軍名には「義」の字が共通して使われていますが、なぜ初代・尊氏には使われていないのでしょうか。

【殿様の左遷栄転物語】波乱万丈の再興 木下勝俊と滝川雄利

秀吉の正室・おねの甥である木下勝俊、滝川一益の甥(娘婿とも養子とも)である滝川雄利のふたりも豊臣系ということで改易されましたが、それぞれ大名に復帰しています。

【殿様の左遷栄転物語】コネに救われた2人の大名 新庄直頼と久留島長親

新庄直頼と久留島長親のふたりも大名として復帰を遂げることに成功しています。新庄家は改易時より大きな所領を得、また村上海賊として知られる久留島家は関ヶ原の戦いで西軍に味方しながらも有力者とのコネクションの力で再興しています。

征夷大将軍は源氏じゃなきゃなれないのか

源氏の子孫しか征夷大将軍に就任できないと思っている方はけっこういらっしゃるんじゃないかと思うのですが(ぼくがそうでした)、じっさいには源氏以外の人物が将軍に就任していることからもこの話は正しくないようです。

【殿様の左遷栄転物語】本領にこだわり続けた執念 相馬利胤

相馬家も関ヶ原の戦い後に改易となりましたが、当主・相馬利胤は平将門の子孫である名門のプライドを守り、父祖伝来の地に大名として復帰しています。

攻城団TVに初の対談番組を公開しました(榎本先生の最新刊「将軍の日本史」についての対談)

攻城団スタジオでの初収録となる番組を公開しました。がんばって収録&編集したのでぜひご視聴ください!

【殿様の左遷栄転物語】15年を経て再興 岩城貞隆

佐竹義重の息子でもある岩城貞隆は兄・義宣に従ったために改易となります。そこから15年かけて貞隆が大名に復帰するまでには並々ならぬ苦労がありました。

【殿様の左遷栄転物語】米五郎左の息子 丹羽長重

丹羽長秀を父に持つ丹羽長重は受け継いだ123万石を数年で4万石にまで減封され、さらに改易となるなど波乱の人生を歩みますが、江戸時代に入り、なんとかお家再興を果たしました。その背景を見ると前田利長や徳川秀忠など二世大名同士の人脈は大事だなと感じ…

【殿様の左遷栄転物語】天下無敵の勇将 立花宗茂

最初のひとりは西国無双と謳われた立花宗茂です。関ヶ原の戦いで改易された者のうち、旧領を回復した武将は宗茂ただひとりだったのですが、それはなぜか。

【殿様の左遷栄転物語】第1章「天下分け目」のその後で 負けた後こそ正念場

江戸幕府――とくに初期の江戸幕府はさながら人事ドラマのように左遷や栄転が繰り返されました。強固で安定した幕府をつくるためにおこなわれた人事に翻弄された大名たちを見ていきましょう。

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