攻城団ブログ

お城や戦国時代に関するいろんな話題をお届けしていきます!

【戦国軍師入門】島勝猛(左近)――不死伝説まで生まれた悲劇の名将

京都・立本寺にある島清興の墓には「寛永9年没」とあり、島左近が江戸時代を僧侶として生きたと伝わっています。対馬や陸前高田にも墓があるそうで、ほかにも関ヶ原の戦いで生き延びた伝説が全国各地に残っているそうです。

【戦国軍師入門】片倉景綱――独眼竜の右目をまっとうした生涯

どうしても西郷輝彦さんの片倉小十郎景綱が浮かびますね。ちなみに嫡男・重綱(のちに重長)も父に劣らぬ智勇兼備の名将で「鬼の小十郎」と称され、さらに重長の子・景長もまた小十郎を名乗ったそうです。伊達家において「片倉小十郎」の名前は忠臣の鑑でし…

【戦国軍師入門】黒田官兵衛――有能ゆえに疎まれた不遇の名軍師

秀吉に対する「御運が開かれる機会が参りましたな」のエピソードは幕末に書かれた『名将言行録』が出典なのでかなりあやしいと思います。秀吉が官兵衛を遠ざけた理由があるとしたら、彼がキリシタンだったことじゃないかなと。でも秀吉に恐れられたというこ…

【戦国軍師入門】立花道雪――輿で戦場を駆けめぐった、雷神の生まれ変わり

立花道雪には「雷切」はじめさまざまなエピソードが残っています。本文で紹介した主君を諌めるために京から呼んだ踊り子に踊らせたのが現代にも残っていて、それが大分市鶴崎の無形民俗文化財「鶴崎踊り」と言われています。

【戦国軍師入門】角隈石宗――秘伝を火中に投じて散った軍配者の無念

角隈石宗の名前を知っているとちょっとだけ通っぽいですよね。いわゆる軍配者の典型例みたいな人物ですが、個人的に興味深いのは彼の最後となった「耳川の戦い」において忠告を無視されたにもかかわらず、出陣してるんですよね。負けるとわかっていても、死…

【戦国軍師入門】鍋島直茂――野心なくして遂げた下克上

龍造寺隆信と鍋島直茂の関係は上杉景勝と直江兼続に似ているように思うのですが、仕えた主君の性格が真逆だとまったくちがう結果になるのだなと。どっちの人生が幸せかはわかりませんけどね。

【戦国軍師入門】竹中半兵衛――諸葛亮にも例えられた知性派策士

竹中半兵衛は諸葛亮孔明のようなイメージで語られていますが、そのほとんどは孔明に寄せた創作エピソードによるものなのでじっさいにどこまで活躍したのかは不明です。ただ偶像であれ、多くの方にいまなお愛されている武将であることはまちがいなく、三木市…

【戦国軍師入門】蜂須賀正勝――「野盗の親分」、実は外交折衝の達人

有能な腹心がたくさんいたから秀吉は天下が取れたのでしょうが、その中でも蜂須賀正勝は渋くてぼくは好きです。弟の秀長をのぞけばもっとも長い付き合いかもしれないですね。

【戦国軍師入門】宇佐美定満――軍神・謙信に兵法を授けた謎の軍師

江戸時代から見た戦国時代というと、令和から見る昭和くらいの時間差でしかないのですが、それでも架空の人物が生まれ、フィクションによる物語がつくられていくというのはおもしろいですね(おもしろいと同時に後世から見れば迷惑な話でもあるのですが)。

【戦国軍師入門】甲斐宗運――島津も恐れた非情の忠臣

大国にはさまれたいわゆる境界大名にも名軍師はいて、その代表的なひとりが甲斐宗運です。 彼は太原雪斎のように内政・軍事両面で阿蘇家を支えましたが、雪斎同様ひとりがすべてを取り仕切るリスクは大きく、宗運の死後すぐに阿蘇家は滅亡することになります…

【戦国軍師入門】朝倉教景――犬畜生と蔑まれても勝ちが大事

伊達政宗しかり戦国大名の家では先祖と同じ名前をつけることは珍しくないのですが、朝倉家は孝景も教景も複数います。教景にいたっては判明しているだけで5人が名乗っており、しかも3人は歴代当主です。襲名に近いのでしょうか。 なお近年の研究によると「朝…

【戦国軍師入門】真田幸隆――謀略に長けた「攻め弾正」

活躍だけ見れば、息子の昌幸、孫の幸村よりも華々しいのが真田幸隆です。調略に長け、多くの城を攻め落とした点では羽柴秀吉に近いイメージがあります。

【戦国軍師入門】山本勘助――すべてが謎に満ちたオカルト軍師

NHK大河ドラマの主人公にもなり、またほかの作品にも多数登場していることからてっきり実在がたしかな軍師だと思っていた方も多いでしょうが(ぼくも最近までそうでした)いまなお山本勘助が実在していたか、実在していたとして名軍師だったのかはよくわかっ…

【戦国軍師入門】太原雪斎――家康にも影響を与えた、今川家の軍師僧

逸話で聞く太原雪斎はほんとうにスーパーマンですよね。外交面ではタフネゴシエーターであり、軍事面では戦略家と八面六臂の活躍を見せつつ、さらに教育者でもあるのですからほんとうにすごい。

【戦国軍師入門】大坂の陣――天下の大坂城を裸にした謀略

真田幸村ははたして軍師なのか――という問いは大河ドラマ「真田丸」をご覧になった方にとっても興味深いのではないでしょうか。じっさいには軍師的な役割を任せてもらえなかったわけで、父親である真田昌幸の影響が強いのかもしれませんね。

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