京都・長岡京おもてなし武将隊つつじの細川玉子さんに「神君伊賀越え」について紹介していただきました。敵を撹乱させるためにさまざまな誤情報が飛び交ったこともあり真実がよくわからないこの逃避行ですが、各地に残っている伝承をたどるのもおもしろいで…
人質時代の信長との縁もあり、今川家を見限って織田についたとされる通説は近年否定されているそうです。岡崎城に入った元康は織田方と戦っており、今川からの離反も援軍が期待できず安全保障が履行されなかったためと考えられています。
「高天神を制するものは遠州を制する」といわれたほどの要衝をめぐって徳川・武田が争奪した高天神城ですが、最終的に城将・岡部元信からの救援要請に応じることができなかった武田勝頼の威信を致命的に失墜させ、武田家滅亡のきっかけになった戦いとも言わ…
団員のしぇるふぁさんが昨年リニューアルオープンした福山城を訪問されました。その際にJR、福山駅のホームのどこからどんなふうに見えるのかを検証されたそうです。じっさいにホームのあちこちから撮影された写真も載せてくださってるのでとても参考になり…
ドラマでも大変さが伝わりましたが、兵糧や小荷駄隊を守りながら敵中突破するというのはかなり難易度の高いミッションでした。ちなみに援軍が迫るなか前日に兵糧を入れる意味は薄いので前年ではないかという説があったり、これは米ではなく弾薬だったのでは…
長篠の戦いというと鉄砲の三段撃ちなど信長が主役のように思われがちですが、本来はあくまでも徳川対武田の領土争いから起きた合戦です。 また武田氏が奥三河に侵攻した理由として、鉛鉱山の争奪戦だったかもしれないという新説が近年唱えられているというの…
家康(当時は竹千代)が駿府に連れて行かれた時点で、すでに父親の広忠は亡くなっていたので、当主自ら人質というのもおかしな話だと思います。義元は三河統治のために幼年の当主を庇護・後見し、今川一門に迎えて英才教育を施そうとしたと考えたほうが自然…
過去の戦いは今川義元の家臣としてや織田信長の援軍としての参加でしたが、今回の「三方ヶ原の戦い」ははじめて家康が対峙した本格的な戦国大名同士の合戦です。 通常ならこの敗戦を機に徳川家は滅亡へ向かってもおかしくないのですが、信玄の死など幸運が重…
家康の生母、於大の方は実家である水野家のために人生を捧げた人です。この時代の女性によくある政略結婚で松平広忠に嫁ぎ、実家の事情で離縁されたあとは再び久松長家(俊勝)に嫁ぎます。家康の「家」の字はこの継父である長家から得たという説もあるそう…
姉川の戦いというと教科書に載るほど有名な合戦ですが、じっさいにはそれほど大規模な合戦ではなかったのではないかと考えられています。そもそも浅井家や朝倉家では「野村合戦」や「三田村合戦」と呼ばれており、徳川家の呼び名でした。
「城もなか」を求めて全国を飛び回る城葱さんが今回向かったのはおつやの方のエピソードで知られる岩村城の城下町。意外なコラボ餡を使った城もなかは一度味わってみたい気持ちになります!
家康の祖父、父はいずれも若くして亡くなっています。織田と今川にはさまれた小さな国衆である松平氏は一族内の闘いもあり、広忠も10歳で家督を継いだために三河を追われてしまったそうです。この状況を救ってくれたのが今川義元なので、徳川家にとっての義…
徳川家康が参加した合戦について紹介する新連載「家康の合戦」の第1回目は家康の運命を決定づけた桶狭間の戦いです。この戦いでは家康の出番と言っても大高城の兵糧入れくらいですが、今川義元討死後の判断をミスらなかったことがのちの天下人への分岐点でし…
2022年の大晦日、攻城団テレビで〈【大河ドラマ直前予習企画】どうした家康〉をライブ配信しました。9時間半という長時間番組になりましたが、ご視聴いただきありがとうございました。
徳川家康の幼少期、まだ竹千代と呼ばれていた時代に織田家で人質生活を送っていたことはよく知られています。ただ当初今川家へ送られるはずが、家臣の裏切りで織田家へ売り渡されたといったエピソードは近年の研究で否定されています。