攻城団ブログ

お城や戦国時代に関するいろんな話題をお届けしていきます!

【家康の合戦】小牧・長久手の戦い 家康・人生のターニングポイント

家康と秀吉の直接対決と言われることも多い小牧・長久手の戦いですが、実際は家康は織田信雄の援軍であり、その信雄が先に秀吉と和睦したため、はしごを外された家康は危機を迎えます。天災によって救われたのは家康の人生最大の幸運だったかもしれません。

城葱さんの「城もなか」道中記【関東編#3】

「城もなか」を求めて全国を飛び回る城葱さんが今回向かったのは八王子城と甲斐上野城。攻城&城もなかの「はじご」はすごいですね。おいしそうな写真とあわせてじっくり楽しんでください!!

【サイン本プレゼントあり】「ぶらり徳川家康ゆかりの城跡+忍びめぐり」のご紹介

マコト出版から出版されるガイドブック「ぶらり徳川家康ゆかりの城跡+忍びめぐり」のサイン本を5名の方にプレゼントします!

細川玉子さんによる神君伊賀越えの紹介

京都・長岡京おもてなし武将隊つつじの細川玉子さんに「神君伊賀越え」について紹介していただきました。敵を撹乱させるためにさまざまな誤情報が飛び交ったこともあり真実がよくわからないこの逃避行ですが、各地に残っている伝承をたどるのもおもしろいで…

【家康の謎】家康は桶狭間の戦いのあと、なぜ駿府に戻らなかったの?

人質時代の信長との縁もあり、今川家を見限って織田についたとされる通説は近年否定されているそうです。岡崎城に入った元康は織田方と戦っており、今川からの離反も援軍が期待できず安全保障が履行されなかったためと考えられています。

【家康の合戦】高天神城の戦い 武田vs徳川の攻防戦!

「高天神を制するものは遠州を制する」といわれたほどの要衝をめぐって徳川・武田が争奪した高天神城ですが、最終的に城将・岡部元信からの救援要請に応じることができなかった武田勝頼の威信を致命的に失墜させ、武田家滅亡のきっかけになった戦いとも言わ…

しぇるふぁさんによるJR福山駅から見る福山城の検証レポート

団員のしぇるふぁさんが昨年リニューアルオープンした福山城を訪問されました。その際にJR、福山駅のホームのどこからどんなふうに見えるのかを検証されたそうです。じっさいにホームのあちこちから撮影された写真も載せてくださってるのでとても参考になり…

【家康の謎】大高城の兵糧入れってそんなに大変だったの?

ドラマでも大変さが伝わりましたが、兵糧や小荷駄隊を守りながら敵中突破するというのはかなり難易度の高いミッションでした。ちなみに援軍が迫るなか前日に兵糧を入れる意味は薄いので前年ではないかという説があったり、これは米ではなく弾薬だったのでは…

【家康の合戦】長篠設楽原の戦い 激突!武田勝頼との三河攻防戦

長篠の戦いというと鉄砲の三段撃ちなど信長が主役のように思われがちですが、本来はあくまでも徳川対武田の領土争いから起きた合戦です。 また武田氏が奥三河に侵攻した理由として、鉛鉱山の争奪戦だったかもしれないという新説が近年唱えられているというの…

【家康の謎】家康はなぜ今川家でそんなに優遇されたの?

家康(当時は竹千代)が駿府に連れて行かれた時点で、すでに父親の広忠は亡くなっていたので、当主自ら人質というのもおかしな話だと思います。義元は三河統治のために幼年の当主を庇護・後見し、今川一門に迎えて英才教育を施そうとしたと考えたほうが自然…

【家康の合戦】三方ヶ原の戦い 家康惨敗!信玄にコテンパンにやられた戦い

過去の戦いは今川義元の家臣としてや織田信長の援軍としての参加でしたが、今回の「三方ヶ原の戦い」ははじめて家康が対峙した本格的な戦国大名同士の合戦です。 通常ならこの敗戦を機に徳川家は滅亡へ向かってもおかしくないのですが、信玄の死など幸運が重…

【家康の謎】家康のお母さんはどんな人だったの?

家康の生母、於大の方は実家である水野家のために人生を捧げた人です。この時代の女性によくある政略結婚で松平広忠に嫁ぎ、実家の事情で離縁されたあとは再び久松長家(俊勝)に嫁ぎます。家康の「家」の字はこの継父である長家から得たという説もあるそう…

【家康の合戦】姉川の戦い 家康の活躍で浅井・朝倉を撃退した戦い!

姉川の戦いというと教科書に載るほど有名な合戦ですが、じっさいにはそれほど大規模な合戦ではなかったのではないかと考えられています。そもそも浅井家や朝倉家では「野村合戦」や「三田村合戦」と呼ばれており、徳川家の呼び名でした。

城葱さんの「城もなか」道中記【岩村編】

「城もなか」を求めて全国を飛び回る城葱さんが今回向かったのはおつやの方のエピソードで知られる岩村城の城下町。意外なコラボ餡を使った城もなかは一度味わってみたい気持ちになります!

【家康の謎】家康のお父さんはどんな人だったの?

家康の祖父、父はいずれも若くして亡くなっています。織田と今川にはさまれた小さな国衆である松平氏は一族内の闘いもあり、広忠も10歳で家督を継いだために三河を追われてしまったそうです。この状況を救ってくれたのが今川義元なので、徳川家にとっての義…

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