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第3章では後継者問題のむずかしさ、とくに順当に長男が相続できなかったケースを紹介してきましたが、子どもが生まれないから養子を迎えたものの、その後に実子が生まれたため内紛発生――というのは「応仁の乱」に代表されるように「あるある」なんですよね。
名張藤堂家の祖となった藤堂高吉はそもそも丹羽長秀の子で、高虎の主君であった羽柴秀長の養子になっていたのをいろんな事情があって藤堂家の養子になった人物です。彼も歴史に翻弄された人ですね。
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