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「六分の一殿」と呼ばれた山名氏一族の権力をそぐため、将軍・義満によって画策されたのが明徳の乱です。 この乱の結果、山名氏の領国は但馬・因幡・伯耆の3か国に減らされ、その他の旧領は論功行賞で畠山・大内・一色・赤松諸氏に分与されました。
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