攻城団ブログ

お城や戦国時代に関するいろんな話題をお届けしていきます!

2022-04-01から1ヶ月間の記事一覧

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】悲劇の舞台①――夫の仇をとるための奮戦の舞台となった城・鶴崎城

妙林尼の史料はほとんど残っていないそうですが、耳川の戦いで夫が戦士したために出家し、名乗った名前だそうです。ルイス・フロイスの文書にも彼女と思われる記録があることを考えると、当時はそれなりに話題になったのでしょう。

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】名城むなしく⑩――内部分裂で落ちた城・七尾城

その後、上杉謙信が死に、織田信長が天下人になったので上杉方についた遊佐氏が裏切り者のように語られていますが、はたして本当のところはどうだったのか。七尾城の戦いを別の観点から捉えた「マンガでわかる七尾城」もぜひ読んでください。

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】名城むなしく⑨――武田信玄に苦汁をなめさせ、内応であっさりと落ちた城・砥石城

戦国時代の信濃をめぐる争いは村上義清抜きには語れません。もともと義清は信玄の父、武田信虎と同盟を結んでいたため信玄の侵攻を受けることとなり、上田原の戦い、砥石崩れと二度にわたり撃退したものの、攻め弾正こと真田幸綱により砥石城が攻略されると…

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】名城むなしく⑧――わずかな兵に乗っ取られた城・稲葉山城

策略で奪い取った稲葉山城を放棄した竹中半兵衛はその後、隠遁生活を送ったそうですが、城を返したとはいえ主君を裏切ったわけで、斎藤龍興はなぜ殺さなかったのでしょうね。

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】名城むなしく⑦――支城を失い、戦意を失った城・観音寺城

六角義治は一時期、亡命してきた一乗院覚慶(のちの足利義昭)を匿ったこともあるのですが、三好三人衆に通じて覚慶を追放したため、その結果として義昭を奉じた信長の上洛戦で戦うことになりました。

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】名城むなしく⑥――水に沈んだ城――備中高松城

秀吉の才覚か、軍師・黒田官兵衛の知略か、あるいはその両者が最高に噛み合った結果か、この中国方面軍時代の秀吉の合戦はドラマチックなものが多いですね。のちの天下人ということで過大評価もあるのでしょうが、スケールがいち家臣の枠を飛び越えています。

榎本先生の最新刊「ナンバー2の日本史」について対談しました

今月発売されたばかりの榎本先生の最新刊「ナンバー2の日本史」について、その内容を紹介する番組を攻城団テレビでライブ配信しました。 動画はアーカイブで視聴可能ですので、ぜひご覧ください!

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】名城むなしく⑤――飢えて落ちた城・鳥取城

秀吉による三木城攻めでは1年10ヶ月を費やすこととなり、味方の損耗、なにより貴重な時間が失われてしまったため、兵糧攻めのアップデートが求められた結果が、この鳥取城攻めでした。今回は事前の兵糧買い占めに加えて、海路も含む兵站線を完全に遮断すると…

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】名城むなしく④――支城を漬され、大名の逃げた城・有岡城

荒木村重は大河ドラマの主人公になれるほど魅力的でドラマチックな人生を送った人物だと思います。逃げ延びたあとは道糞を名乗ったとか、自分を拾ってくれた秀吉の悪口を言ったのがバレると出家して道薫を名乗ったとか波乱万丈。 ちなみに今回はじめて知った…

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】名城むなしく③――支城を潰され、草木も食い尽くした城・三木城

毛利氏の援軍を期待しての籠城戦だったわけですが、毛利が三木城までたどり着くには姫路城などを突破する必要があるので(海路で来るにしても容易ではない)どういう勝算があっての離反だったのか。荒木村重が毛利方についたあとは摂津の港を利用して花隈城…

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】名城むなしく②――名将の死で落ちた城・箕輪城

上杉謙信ってけっこう援軍要請に応えてないですよね。それはさておき業盛の子は生き延びて仏門に入ったとか、業盛の弟・業親の子が井伊家に仕えて彦根藩の次席家老をつとめたとか、長野氏の一族がすべてこのときに亡くなったわけじゃないようです。

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】名城むなしく①――「力の差」に圧倒された城・小田原城

城攻めは敵の3倍の兵力が必要だとして「攻撃三倍の法則」という考え方がありますが、その例外が多数あることはこれまでに見てきた通りです。おそらく兵站の心配がなく、籠城側に後詰めが期待できないなら、同数の兵力で包囲してれば勝てそうですね。

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】奮戦の舞台③――長宗我部元親の策略と、それを見抜いた黒田官兵衛・植田城

いずれ降伏するにせよ、交渉を少しでも有利に進めるために合戦に勝利しておくというのは重要です。この植田城での戦いが回避されてしまったことで、秀吉の当初の条件である「土佐・阿波を安堵」(元親は伊予一国を返還で交渉)から、結果として土佐一国のみ…

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】奮戦の舞台②――信玄と家康、虚虚実実の駆け引きが繰り広げられた城・浜松城

空城の計は『三国志演義』において蜀の諸葛亮が魏の司馬懿に対して用いた奇策ですが、本文にあるとおりフィクションの可能性が高そうです。順当に考えれば信玄がその後の戦いに備えて兵力を温存したというところでしょうか。

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】奮戦の舞台①――女性が支えた城・末森城

前田利家の家督相続に反対して一時は浪人にもなった奥村永福ですが、帰参した後は前田家の重臣として活躍します。利家とともに九州征伐・小田原征伐にも参加し、豊臣姓を下賜されたとも。

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】城の役目は⑨――徳川本隊を釘付けにした城――上田城(第二次上田合戦)

伏見城や大津城が西軍を足止めしたように、東軍主力の本戦参加を足止めしたのが上田城であり、その戦いが有名な第二次上田合戦です。この戦いがなければ大坂の陣での活躍含め、真田の名前が後世に残ることもなかったでしょうから、一族にとっても意味のある…

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】城の役目は⑧――関ヶ原の戦い当日まで持ちこたえた城・大津城

彦根城を築城する際、家康は落城しなかった縁起のいい城ということで、この大津城の天守を移築するように命じたそうなので(そのエピソードが事実なら)、やはり関ヶ原の戦いでの勝利に大きく貢献したと家康は評価していたのでしょう。

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】城の役目は⑦――囮としての役割を果たした城・伏見城

会津征伐のために徳川家康が大坂を留守にして、その隙に石田三成が挙兵すると徳川方の伏見城を攻め落とす、というこの関ヶ原の戦いにいたるストーリーってどこまで本当なんでしょうね。あまりに出来すぎているというか、単純すぎるというか。 ちなみにこの戦…

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】城の役目は⑥――武田信玄・上杉謙信を撥ね除けた城・小田原城

かつて上杉・武田を撃退したという成功体験がのちの判断ミスにつながったとも言えますが、今回の話についてはそれぞれの戦いの背景というか、北条氏の同盟関係が変化していることに注目ですね。

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】城の役目は⑤――独眼竜の攻撃に晒された城・二本松城

この人取り橋の戦いにおける伊達政宗のラッキーは、非常にピンチの状態で武田信玄や上杉謙信が亡くなった織田信長のラッキーに似てますね(暗殺説もあるようですが)。ともあれ歴史に名を残すのに運は必要ということでしょう。

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】城の役目は④――北九州の防波堤になった城・立花城

大友氏を裏切った立花鑑載は父を大友宗麟に殺されているので、その恨みもあったようです。後詰にかけつけた援軍が、自領のピンチによって撤退しなければならないという経緯は上月城の戦いに似てますね。

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】城の役目は③――落ちなかった支城・長谷堂城

慶長出羽合戦の舞台として有名な長谷堂城ですが、もともと庄内地方をめぐっての上杉景勝と最上義光の争いがあり、それが関ケ原の戦いの際に顕在化したとも言えます。攻め手の直江兼続は長谷堂城付近で刈田狼藉をおこなって挑発したようですが、守将の志村光…

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】城の役目は②――耐えて状況を動かした城・月山富田城

尼子経久によって拡張され難攻不落の要塞と名高い月山富田城ですが、大内義隆らに責められた第一次は防衛に成功したものの、大内氏滅亡後に毛利元就が攻めた第二次では兵糧攻めに敗れ、尼子氏は滅亡することに。

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】城の役目は①――理想的な籠城戦で持ちこたえた城・吉田郡山城

のちに毛利輝元が広島城を築いて移るまで、長年にわたり毛利氏の居城として使われた吉田郡山城ですが、山全体を要塞とする規模になったのは元就の晩年で、尼子氏を撃退した当時はまだ拡張前だったようです(一部の拡張がはじまっていたとも)。

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】名城・名勝負ピックアップ⑩――戦うことなく炎に消えた城・安土城

近年、織田信長についてはそれほど革新的ではないとか、むしろ幕府再興を目指した当時の価値観でも保守本流であるといった再評価が進んでいますが、こと美術的な観点ではやはりこの桃山文化を育んだことは偉大だなと思います。豪商との結びつきや海外交易な…

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】名城・名勝負ピックアップ⑨――見捨てられた城・上月城

侵略した土地を支配するためには大義名分が必要であり、そのためにも尼子氏の再興は妙案だったのですが、三木城が敵方になった以上、当時の秀吉の権限と兵力ではどうにもなりませんでした。それ故にあの無残な干殺しになったかはわかりませんが。

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】名城・名勝負ピックアップ⑧――名将が命をかけて立て籠もった城・岩屋城

もっとも苛烈な籠城戦のひとつとして知られる岩屋城の戦いですが、父を救援したいと訴える立花宗茂の代わりに援軍として加勢した吉田兼正(吉田左京)らもあっぱれでした。彼らは高橋紹運と運命をともにしましたが、その遺族は宗茂により保護されたそうです。

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】名城・名勝負ピックアップ⑦――外交交渉で裸にされた城・大坂城

大坂の陣のいきさつは「真田丸」でご覧になられた方も多いと思います。徳川方が和睦の条件である「惣堀(惣構えの堀)」を都合よく「総堀(すべての堀)」と解釈してだまし討ちのように埋め立てたと紹介されてきましたが、じっさいにはこの工事をめぐってト…

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】名城・名勝負ピックアップ⑥――水攻めに耐えた城・忍城

忍城の戦いは日本三大水攻めのひとつに数えられるほど有名な籠城戦ですね。ちなみに文中の氏長夫人は太田資正の娘らしいのですが、甲斐姫の母親は由良成繁の娘だそうです。

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】名城・名勝負ピックアップ⑤――勇ましくも美しき女武将の活躍した城・安濃津城

いくつかある女武者のエピソードの中でもこの富田信高夫人の話は素敵ですよね。でも自分の城を捨ててまで救援に駆けつけた分部光嘉もカッコいいと思います。 ちなみに家康が信高と光嘉を先行して帰還させたのは津が交通の要衝だからですね。

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