攻城団ブログ

お城や戦国時代に関するいろんな話題をお届けしていきます!

2022-01-01から1年間の記事一覧

二条城で開催される「NAKED 夏まつり 2022」の見どころを写真と動画で紹介

7月22日(金)から二条城で開催される「NAKED 夏まつり 2022」の報道陣向け内覧会にお誘いいただいたので参加してきました。

ガイドブック「国指定史跡 柏木城跡」のご紹介

北塩原村が国史跡・柏木城跡の特徴や史跡の発掘調査などをまとめたガイドブックを作成されました。プレゼント用にご提供いただいたので、ふるってご応募ください!

城葱さんの「城もなか」道中記【関東編】

今回は2本立てになっています。「城もなか」の伝道師こと城葱さんが東北に続いて関東の城もなかめぐりもされてきたそうです。とにかく城もなかに対する情熱がすごい。ぼくは読みながら感動すらおぼえました。

ワイド御城印帳が新しくなりました!(くまモン、ひこにゃんが入荷!)

攻城団オリジナルのワイド御城印帳が背表紙ありにリニューアルしました! 価格は据え置き(3300円)ですのでお早めにお買い求めください。

城葱さんの「城もなか」道中記【東北編】

「城もなか」の伝道師こと城葱さんがGWに城もなかを求めて東北へ旅行されたのでレポートを寄稿していただきました。城もなかはぼくもすっかり魅了されてますが、ほんと最高ですよね!

【戦国軍師入門】本多正信――武断派に嫌われながら幕府を守った、家康の懐刀

本多正信の「権あるものは禄少なく、禄あるものは権少なく」という考え方は江戸時代の幕藩体制そのもので、石高の多い外様大名は国政に参加することを許さず、また老中はじめ権力の中枢にいる者たちは井伊家以外は20万石未満でした。国政のシステムの基盤を…

【戦国軍師入門】直江兼続――主家存続に生涯を捧げた文武兼備の智将

4万石の半分を与えられた島左近もすごいですが、120万石のうち30万石を与えられた直江兼続はさらにすごいですね。ちなみに「直江状」の真贋論争ですが、不自然な部分がある一方で当事者しか知りえない事実が書かれていたりして、いまなお決着がついていませ…

【戦国軍師入門】島勝猛(左近)――不死伝説まで生まれた悲劇の名将

京都・立本寺にある島清興の墓には「寛永9年没」とあり、島左近が江戸時代を僧侶として生きたと伝わっています。対馬や陸前高田にも墓があるそうで、ほかにも関ヶ原の戦いで生き延びた伝説が全国各地に残っているそうです。

【戦国軍師入門】片倉景綱――独眼竜の右目をまっとうした生涯

どうしても西郷輝彦さんの片倉小十郎景綱が浮かびますね。ちなみに嫡男・重綱(のちに重長)も父に劣らぬ智勇兼備の名将で「鬼の小十郎」と称され、さらに重長の子・景長もまた小十郎を名乗ったそうです。伊達家において「片倉小十郎」の名前は忠臣の鑑でし…

【戦国軍師入門】黒田官兵衛――有能ゆえに疎まれた不遇の名軍師

秀吉に対する「御運が開かれる機会が参りましたな」のエピソードは幕末に書かれた『名将言行録』が出典なのでかなりあやしいと思います。秀吉が官兵衛を遠ざけた理由があるとしたら、彼がキリシタンだったことじゃないかなと。でも秀吉に恐れられたというこ…

【戦国軍師入門】立花道雪――輿で戦場を駆けめぐった、雷神の生まれ変わり

立花道雪には「雷切」はじめさまざまなエピソードが残っています。本文で紹介した主君を諌めるために京から呼んだ踊り子に踊らせたのが現代にも残っていて、それが大分市鶴崎の無形民俗文化財「鶴崎踊り」と言われています。

【戦国軍師入門】角隈石宗――秘伝を火中に投じて散った軍配者の無念

角隈石宗の名前を知っているとちょっとだけ通っぽいですよね。いわゆる軍配者の典型例みたいな人物ですが、個人的に興味深いのは彼の最後となった「耳川の戦い」において忠告を無視されたにもかかわらず、出陣してるんですよね。負けるとわかっていても、死…

【戦国軍師入門】鍋島直茂――野心なくして遂げた下克上

龍造寺隆信と鍋島直茂の関係は上杉景勝と直江兼続に似ているように思うのですが、仕えた主君の性格が真逆だとまったくちがう結果になるのだなと。どっちの人生が幸せかはわかりませんけどね。

【戦国軍師入門】竹中半兵衛――諸葛亮にも例えられた知性派策士

竹中半兵衛は諸葛亮孔明のようなイメージで語られていますが、そのほとんどは孔明に寄せた創作エピソードによるものなのでじっさいにどこまで活躍したのかは不明です。ただ偶像であれ、多くの方にいまなお愛されている武将であることはまちがいなく、三木市…

【戦国軍師入門】蜂須賀正勝――「野盗の親分」、実は外交折衝の達人

有能な腹心がたくさんいたから秀吉は天下が取れたのでしょうが、その中でも蜂須賀正勝は渋くてぼくは好きです。弟の秀長をのぞけばもっとも長い付き合いかもしれないですね。

【戦国軍師入門】宇佐美定満――軍神・謙信に兵法を授けた謎の軍師

江戸時代から見た戦国時代というと、令和から見る昭和くらいの時間差でしかないのですが、それでも架空の人物が生まれ、フィクションによる物語がつくられていくというのはおもしろいですね(おもしろいと同時に後世から見れば迷惑な話でもあるのですが)。

【戦国軍師入門】甲斐宗運――島津も恐れた非情の忠臣

大国にはさまれたいわゆる境界大名にも名軍師はいて、その代表的なひとりが甲斐宗運です。 彼は太原雪斎のように内政・軍事両面で阿蘇家を支えましたが、雪斎同様ひとりがすべてを取り仕切るリスクは大きく、宗運の死後すぐに阿蘇家は滅亡することになります…

【戦国軍師入門】朝倉教景――犬畜生と蔑まれても勝ちが大事

伊達政宗しかり戦国大名の家では先祖と同じ名前をつけることは珍しくないのですが、朝倉家は孝景も教景も複数います。教景にいたっては判明しているだけで5人が名乗っており、しかも3人は歴代当主です。襲名に近いのでしょうか。 なお近年の研究によると「朝…

【戦国軍師入門】真田幸隆――謀略に長けた「攻め弾正」

活躍だけ見れば、息子の昌幸、孫の幸村よりも華々しいのが真田幸隆です。調略に長け、多くの城を攻め落とした点では羽柴秀吉に近いイメージがあります。

【戦国軍師入門】山本勘助――すべてが謎に満ちたオカルト軍師

NHK大河ドラマの主人公にもなり、またほかの作品にも多数登場していることからてっきり実在がたしかな軍師だと思っていた方も多いでしょうが(ぼくも最近までそうでした)いまなお山本勘助が実在していたか、実在していたとして名軍師だったのかはよくわかっ…

【戦国軍師入門】太原雪斎――家康にも影響を与えた、今川家の軍師僧

逸話で聞く太原雪斎はほんとうにスーパーマンですよね。外交面ではタフネゴシエーターであり、軍事面では戦略家と八面六臂の活躍を見せつつ、さらに教育者でもあるのですからほんとうにすごい。

【戦国軍師入門】大坂の陣――天下の大坂城を裸にした謀略

真田幸村ははたして軍師なのか――という問いは大河ドラマ「真田丸」をご覧になった方にとっても興味深いのではないでしょうか。じっさいには軍師的な役割を任せてもらえなかったわけで、父親である真田昌幸の影響が強いのかもしれませんね。

【戦国軍師入門】石垣原の戦い――黒田官兵衛、最後の賭け

大友義統が杵築城を攻めたとき、城を守ったのが細川家の家老、松井康之でした。黒田如水は救援に駆けつけ石垣原の戦いに勝利すると、その翌日からまた進撃を開始して豊後国を平定するのですが、ほんとうに天下を狙っていたのかは不明で、おそらくは俗説のよ…

【戦国軍師入門】関ヶ原の合戦――100人を倒すより1000人に裏切らせる

関ヶ原の戦いは各大名家お抱えの名軍師たちの競演でもありました。またその軍師たちを指揮して自軍に有利な状況をつくった徳川家康の戦略家としての凄みも実感します。 ちなみにメッケル少佐が「西軍の勝ち」と言ったというのは司馬遼太郎の話らしいので、お…

【戦国軍師入門】人取橋の合戦――槍の功でも主君を救った軍師

当時は写真があるわけではないので伊達政宗の顔を知らない兵が大半でしょうけどそんなに簡単にだまされるのでしょうか。片倉小十郎は政宗より10歳も年上なので、違和感はあると思うんですけどね。 あと人取橋の合戦というと、いかりや長介さんの鬼庭左月斎を…

【戦国軍師入門】秀吉の四国征伐――官兵衛の策略でスピード勝利

秀吉による四国征伐において大活躍したのが黒田官兵衛でした。彼は大軍である利点を最大に生かして、兵力をむやみに分散せず、攻めるべき城も選んで、わずか3か月ほどで長宗我部元親を降伏させることに成功します。

【戦国軍師入門】沖田畷の戦い――功績甚大の軍師を疎んじた結末

軍師の助言を聞き入れなかったから負けたというのはあくまでも結果論でしかないのですが(無視して勝った例もあるわけで)おごった当主が周囲から愛想を尽かされ身を滅ぼすのは世の常ですね。

【戦国軍師入門】今山の戦い――奇襲を成功させ、会心の勝利

当時、鍋島直茂はまだ「信生」を名乗っていましたが、この勝利を記念して信生は鍋島家の家紋を剣花菱から大友家の杏葉に替えたそうです。なおこの戦い後も大友氏が軍勢動員の触れを隆信に送るなど、従属関係は完全に解消されることなく一部維持されたようで…

【戦国軍師入門】秀吉の中国攻め――「両兵衛」による3つの城攻め

黒田官兵衛が信長に臣従するために謁見したのが1575年(天正3年)7月、その4年後の1579年(天正7年)6月13日に竹中半兵衛は陣中で亡くなってます。しかしこの間の1578年(天正6年)10月から一年間、官兵衛は有岡城に幽閉されていたため、たしかにふたりが秀…

【戦国軍師入門】耳川の戦い――受け入れられなかった主君への進言

角隈石宗は通好みの戦国武将ですよね。軍師というより、本来の「軍配者」の代表とも言えますが、この耳川の戦いに出陣する際に死を覚悟して自身の書いた兵法書をすべて焼き払ってしまったのがもったいないです。

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