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榎本秋の「外様大名40家」

この連載は、幻冬舎から刊行した『外様大名40家 〜「負け組」の処世術〜』を整理し、一部改稿したものです。
この本のテーマは、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康らが活躍した戦国時代末期に訪れた「武士や大名のあり方の変化」と、その中で「負け組」ともいえる立場に追い込まれた大名たちの存在でした。
室町幕府が権威を失い、武士たちが領地を巡って相争うようになって百年ほど。動乱の時代が収束して、それまでのパラダイム(価値観)がシフト(転換)していく時代が訪れたとき、新たな時代を切り開く力を持たなかったり、運に恵まれなかったりした大名たち、武士たちがいました。
拙著で紹介したのは、そうした「大名たちにとっての新しい時代」の話だったのです。

信長の躍進以後、武士たちは土地から切り離されていった。
もともと、武士は、居住する地域と強いつながりを持っていました。彼らを支配する大名も同じで、代々受け継いできた地盤があり、そこに領地もあれば家臣も領民もいたわけですね。
しかし、信長がその支配の手を全国に広げるにあたって、武士たちは生まれ故郷を離れ、新たな領地に移っていくことになります。私たちにはまあそういうこともあるよねくらいの感覚ですが、これは当時の常識からすると激烈なパラダイムシフトだったのです。
何故でしょうか。それまでは「武士とは土地に付くもの」であったからです。土地から切り離されるのは特別な事件でした。

さらに、その信長の天下統一路線を継承した秀吉、そして家康の治世において、武士たち、大名たちを取り巻く事情はさらに変わっていきます。
特に関ヶ原の戦いで豊臣方についた大名、またその直前に徳川方についた大名は、その後の約250年に及ぶ平穏な江戸時代の中で、「外様大名」として生き残ることを余儀なくされました。そして武士たちは所領(領地)を与えられるのではなく俸禄(給与)を与えられ、その上に立つ大名たちもまた安土桃山時代〜江戸時代初期に代々受け継いできた土地から切り離されていったのです。
武士たちは名目上従来通りの軍事階級として振る舞いつつも、実質的には以前よりはるかに強く統治者・行政官僚としての性格を要求されるようになり、戦国時代の「先祖代々伝わってきた自分の領地を守るために戦い、独自に活動する」武士たちとはまったく別種の存在へとなっていったのです。

以後、本連載では戦国時代から江戸時代へ移り変わる転換期で武士がどう変わっていったのか、そして「外様大名」(及び、それに近い立場の譜代大名)が幕府のプレッシャーに耐えながらいかにして平和な江戸時代を生き抜いていったのかについて見ていくこととします。ぜひ、お付き合いください。

5.支配者としての大名たちの苦悩

自らの領地の支配者でもあった大名は江戸幕府からの理不尽な要求に耐えながらも、家を残すために創意工夫をもって奔走していました。

4.江戸幕府のシステムに縛られた外様大名

参勤交代、御手伝普請(天下普請)など、大名たちには江戸幕府からの大きな負担がのしかかっていたようです。

3.戦国大名から外様大名へ

江戸時代に入り、戦国大名には格付けがおこなわれ、とくに「関ヶ原の戦い」の前後に徳川家に臣従した大名たちは外様大名として扱われることになります。

2.織豊政権期のパラダイム転換

織田政権、豊臣政権の下での大名を「織豊大名」(あるいは織田大名・豊臣大名)と呼んだりしますが、これは戦国大名が強大な権力の支配下にあるという点で、江戸時代の大名は織豊大名を踏襲していると考えられます。

1.戦国大名の誕生

武士の誕生から武家の形成、そして戦国大名が登場するまでの流れをまとめています。

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