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榎本秋の「譜代大名126家」

この連載は『譜代大名126家 「勝ち組」の出世競争』(晋遊舎新書)をベースに、ウェブ連載用に一部修正したものです。

江戸幕府はしばしば巨大な官僚組織と紹介されます。無数の旗本・御家人たちがその組織を動かしていたからです。
しかし、彼ら現場の役人たちが幕府組織の上にまで上り詰めるようなことは基本的にありませんでした。現代日本の官僚組織にキャリアとノンキャリアがいるように、幕府においても幕府を主体的に動かしていくような最上位役職を占めるのは、あらかじめそのように定められた立場の人々だけだからです。
それこそが本連載で紹介する譜代大名――徳川将軍家が天下を握る前にその家臣となった大名たち、というわけです。先祖代々の繋がりによって将軍と結ばれた彼らが老中・若年寄や京都所司代・大坂城代といった要職を占めることで、江戸幕府という巨大なピラミッドは統制されていました。

徳川家が天下を握ってから従った外様大名たちが幕末まで中央政治にかかわることを許されなかったのに対し、譜代大名たちはこのように幕政を動かすことができました。そのことは彼らのプライドの根幹になっていたことでしょう。
だからといって、彼らが必ずしも外様大名より恵まれていた、とは言いがたいところがあります。「徳川家臣」という性質を強く持つ彼らは一般に所領が小さく、余程の名門であっても一部外様大名のような20万石を超える大大名はほとんどいなかったのです。転封が多くて地元に根付きにくいという事情もあったようですね。
また、老中のような幕政の実質的トップに上り詰めようと思ったら、そのためにかかる各所に付け届けをし、根回しをし……とコストは莫大なものになってしまいます。それでもなお彼らが老中の座を目指したのは、譜代大名としての誇りのためか、自己満足か、それとも幕政改革の理想に燃えていたためでしょうか? 数百年が経過した今となっては、わかりようもない部分ではありますが、興味も出ますよね。
彼ら譜代大名の歴史、あり方、そして出世の道を紹介します。

7.寵臣の出世と末路

最終回はおまけとして、裏道ともいえるイレギュラーな出世を遂げた人物たちを紹介します。田沼意次や柳沢吉保など有名どころから、脇坂安董など通な人物までお楽しみください。

6.譜代大名の懐事情

譜代にかぎらず、江戸時代の大名たちには参勤交代や御手伝普請などの負担が重くのしかかっていました。なかには旅費を工面できずに涙を流した藩主もいたそうです。

5.譜代大名の出世頭「老中」

一部の大名家をのぞいて、譜代大名の出世の最高位は「老中」でした。老中になるためにはいくつかの条件があり、また賄賂なども必要だったようです。

4.出世と譜代大名

幕府に用意されていたさまざまなポストの紹介と、立身出世を目指した譜代大名たちの出世コースについてまとめました。

3.江戸幕府における譜代大名の役割

譜代大名は江戸幕府において重要な役割を占めていました。領地は国内の要所に配置され、また幕政においても要職は原則、譜代大名が就任していました。

2.譜代家臣団の成立

譜代大名といっても徳川家(松平家)にいつの時期から仕えたかによって立場が異なっていたようです。

1.譜代大名の定義

江戸幕府においていわゆる親藩・譜代・外様と呼ばれた大名たちのうち、譜代大名の定義についてまとめてあります。

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