榎本秋の「10大戦国大名の実力」
歴史のIFを考えるのは楽しいものですが、北条家が秀吉に勝つ、あるいは豊臣大名として生き残るという道筋はなかなかむずかしいものがあるなと思います。逆に言うと家臣団を再整理したかった徳川家はともかく、上杉家は加増があったとはいえよく会津への国替…
小田原評定にネガティブなイメージが植え付けられたのは江戸時代の書物によるものですし、小田原征伐後も北条家は滅亡することなくその血筋を江戸時代に残したのにそう思われていないことなど、北条家に対するネガキャンはちょっとひどいものがありますね。
上杉謙信を退け、武田信玄・今川義元との同盟を実現した3代・北条氏康は武力・政治ともに最高クラスのスーパー大名ですが、汁かけ飯の話など嫡子・氏政とのやり取りのエピソードが多数残っていますね。
北条早雲は自らそう名乗ったことはない、というのは知ってましたし、氏綱が関東を治めるのに「北条」ブランドを利用しようとしたことも理解できますが、なぜ先祖にさかのぼって早雲まで北条で呼ぶようになったのか、の経緯はちょっと気になります。 この同じ…
初代・早雲が伊豆そして相模に進出することができた背景には鎌倉公方と関東管領の対立、さらに鎌倉公方と室町幕府の対立がありました。近年では早雲の伊豆討入りは、中央(京)の明応の政変で将軍に就任した義遐(義澄)が母と弟の敵討ちを命じたからだとさ…
北条早雲が素浪人だったという説は現在ではほぼ否定されていますが、それなりの家格でないと姉が今川家に嫁入りできないという観点からの検証だったというのはおもしろいですね。 もっとも彼がエリート官僚であれ、戦国大名としてのし上がったのは十分下剋上…
為景の下剋上によって戦国大名となった長尾家は、カリスマである謙信の代で従来主家であった山内上杉氏の家督を譲られ、その跡を継いだ甥の景勝が豊臣・徳川の世を生き抜いて家を守ります。 おそらくこの順番だったからこそうまくいったのでしょうね。
上杉謙信の死後に起きたのが大河ドラマでも描かれた「御館の乱」です。 カリスマの死後、滅亡に向かう家が多い中で上杉家はしたたかに生き残ったとも言えますが、やはりこの一連の争乱の影響は大きかったと思います。 (一方で武田家を維持できなかった)武…
上杉謙信はじつは経済にも明るかったというと意外な一面にも思えますが、ライバルの武田信玄と同様に金銀山に恵まれていた上に、(甲斐にはない)港があった優位性がありました。 さらに青苧(あおそ)の糸で織った麻布を特産品として出荷して戦費を賄ってい…
上杉謙信は「義」の人であり、北条氏の侵攻から関東の諸勢力を守るために12回(あるいはそれ以上)にわたる関東出兵を繰り返したと考えられてきましたが、近年は食糧難の領民兵を率いて略奪をおこなうために遠征していたという説も出てきているそうです。
謙信の父で越後守護代だった長尾為景は越後守護・上杉房能を打倒して実権を手に入れました。ある意味で下剋上の代表的な人物ですが、一方で朝廷や室町幕府といった権威を尊重し、しばしば即位費用等の献金をおこなっています。
上杉謙信が長尾景虎を名乗っていたこと(ほかにもいくつか名前は変えている)は有名ですが、上杉氏と長尾氏はある意味セットのような存在で、上杉氏の執事として代々サポートをしていました。
佐竹家は歴代当主のきわめて優れたバランス感覚によって戦乱の世を生き抜いた大名家です。これは判断の速さや正確さよりも事後対応、リカバリーの的確さが重要だということなのかもしれませんね。
戦国時代の佐竹家は北条家や伊達家という隣接するライバル大名と争います。最終的にはその解決のためによしみを通じた豊臣秀吉に臣従し、さらにラッキーも重なって常陸&下野の一部の領有を認めてもらいます。
佐竹家は清和天皇をルーツに持つ名門武家です。名門だからこそ一族内の内乱が起きたともいえますが、関東の歴史において佐竹氏の存在は無視できませんね。
伊達家は代々の当主が足利将軍家から偏諱を賜うなど中央との結び付きが強い家柄でした。そういう意味でも当時の将軍である足利義昭から一字拝領しなかった政宗は特異な存在ですね。
織田信長にどれだけ天下を望む野望があったのかは近年の研究成果により不確かになっていますが、伊達政宗にはめちゃくちゃ野望があったように思いますね。
伊達政宗には数多くのドラマチックなエピソードが残っています。そのうちどこまでが真実なのかはわかりませんが、彼は傾奇者という点でも生まれてくる時代が少しズレていたのかもしれませんね。
伊達家の歴史を振り返るとき、政宗が「遅すぎた天才」であったなら、稙宗は「早すぎた天才」というのは言い得て妙ですね。
最初は伊達政宗で有名な伊達家です。伊達家は鎌倉以来の名門武家であり、もともとは「いだて」と読んだようです。
まずは戦国大名とは、大名家とはなんなのかという基本的なところを押さえておきましょう。ぼくらはついつい江戸時代の大名をイメージしがちですが、戦国時代(とくに戦国時代初期)の概念は少しちがっていました。