攻城団ブログ

お城や戦国時代に関するいろんな話題をお届けしていきます!

【家康の謎】家康はなぜ石川数正に出奔されたのか

まさに右腕として家康を支えてきた石川数正の出奔は、この連載でも最高レベルの謎のひとつだと思います。交渉役が板挟みになって味方からも責められ(結果的に)敵方に走るという構図はのちの片桐且元に似てますね。

城葱さんの「城もなか」道中記【九州編】

「城もなか」を求めて全国を飛び回る城葱さんが今回向かったのは九州。メジャーなお城だけでなく、天ヶ城や岸岳城といったお城へ足を向かわせるのも城もなかの引力ですね。おいしそうな写真とあわせてじっくり楽しんでください!!

【家康の謎】家康は武術の達人だったの?

徳川家康は学問のみならず、武術においても達人レベルだったそうです。身体を動かすというちがいはあれど、多くの師匠に師事して学び、身につけるという点ではどちらも共通しているのかもしれませんね。 神君として盛られたエピソードも多そうですが、家康と…

【日本最初の星形城郭・戸切地陣屋の再評価】5.おわりに

この連載もついに最終回です。ぼくは毎回「戸切地陣屋すごい!」「戸切地陣屋に行きたい!」と思いながら読んできましたが、みなさんはいかがだったでしょうか。 質問や感想もぜひお寄せください!

攻城団テレビで「家康はなぜ名字を松平から徳川に変えたのか」という話をしました

今回は「戦国大名はなぜ名字を変えるのか」について榎本先生に教えていただきました。松平から徳川に改姓した家康だけじゃなく、上杉謙信や明智光秀など名字を変えた戦国大名・戦国武将は多いですよね。

【日本最初の星形城郭・戸切地陣屋の再評価】4.「早すぎた」洋式軍学理論のゆくえ-戸切地陣屋、そして「日本の稜堡式城郭・堡塁」のその後-

西洋の築城術を学んだ英才・藤原主馬によって築かれた〈日本初の星形城郭〉戸切地陣屋でしたが、最先端の理論を誰もが理解できるわけもなく、教本を無視した改変がおこなわれます。 急速な改革が失敗するのはよくあることですが、国家存亡の危機を前にゆっく…

全国各地で城もなかが進化中! 城もなかの可能性は無限大!

城もなか研究の第一人者である城葱さんの情熱は留まるところを知らないようで、今度は最近全国で増えつつある城もなかのアレンジ商品「進化系城もなか」をリサーチされました。城もなか同様、一覧表とマップを作っていただいたのでぜひご覧ください!

【日本最初の星形城郭・戸切地陣屋の再評価】3-3.「日本最初の星の城」の原典への旅(3)-「野崎の丘」に実を結んだ19世紀フランス「砲戦の時代」の防衛構造・戸切地陣屋-

戸切地陣屋はどのくらい原典であるサヴァール教本の内容を反映しているのか。時田さんの調査によれば城が築かれた「野崎の丘」の自然地形もうまく活用し、かなり忠実かつ正確に再現していると言えるそうです。

【家康の謎】家康のブレーンにはどんな人たちがいたの?

家康にかぎらずこの時代の名君と呼ばれるような人は、有能なスタッフを集めて強いチームを形成してましたよね。 ゲームだと武力の能力値に目が行きがちですが、じっさいには統治や内政を支えたブレーンたちが為政者には不可欠でした。

【日本最初の星形城郭・戸切地陣屋の再評価】3-2.「日本最初の星の城」の原典への旅(2)-戸切地陣屋の基礎テキスト「サヴァール教本」とその時代的背景-

日本のお城の魅力はいわばひとつとして同じお城がないという個性にあるわけですが、西洋では体系だった理論や学問として築城術が発展しました。その結果としての稜堡式城郭であり、戸切地陣屋は日本ではじめてその理論を輸入したお城ということです。

諏訪原城~武田・徳川が奪い合った数奇な山城~

今回は島田市博物館の岩﨑学芸員に今年で築城450年を迎える諏訪原城について教わります。武田勝頼と徳川家康によって争奪された歴史を知ると、現地を訪問したくなりますね。

【日本最初の星形城郭・戸切地陣屋の再評価】3-1.「日本最初の星の城」の原典への旅(1)-戸切地陣屋へと連なる「星の城の系譜」…パガン、ヴォーバン、そしてサヴァール-

そもそも稜堡式築城術とはどういうものなのか? 西洋といってもどこの国で生まれたのか、いつ誰が考えたのか、またその専門的な学問がどのように日本に持ち込まれたのか、考えてみると謎だらけですよね。ヴォーバンとかサヴァールとかお城の話にフランス人の…

大人向けレゴ®セット〈レゴ®アーキテクチャー 姫路城〉の再現度にびっくり

レゴジャパンから8月1日に発売された大人向けレゴ®セット〈レゴ®アーキテクチャー 姫路城〉をご提供いただいたので作ってみたのですが、かなりの再現度なので本物の姫路城の写真と比較してみました。

【日本最初の星形城郭・戸切地陣屋の再評価】2.「日本最初の星の城」戸切地陣屋の防衛構造の概略

ついに戸切地陣屋が完成します。ぼくは稜堡がひとつしかない点を見て松前藩は予算不足だったのかなと思っていたのですが、じつはひとつあれば十分防衛できる最高の立地に築いているそうです。今回は図解も多く、稜堡式城郭がどうやって守備をするのかがよく…

【家康の謎】家康は信長の姉妹を娶ったのか?

ルイス・フロイスが書いた『日本史』に家康が信長の「義弟」という記述があるそうです。 三国志の劉備たちが義兄弟を名乗ってるように、姉妹との結婚がなくても義弟と呼ぶことはあるので、おそらくそういうニュアンスなのでしょうが、この当時のポルトガルや…

【日本最初の星形城郭・戸切地陣屋の再評価】1-3.戸切地陣屋ができるまで(3)-松前崇広・藤原主馬の軍制改革と、その「思わぬ」結末-

佐久間象山のもとで洋式軍学を習得した藤原重太(主馬)は藩主・松前崇広により西洋流砲術師範として任命されます。開明的な藩主が英才を重要ポストに抜擢する構図は明るい未来を想像させますが……。

攻城団テレビで忍者の話をしました

今回の攻城団テレビでは「どうする家康」で忍者考証を担当されている山田雄司先生と編集者の佐藤強志さんをゲストにお招きして、忍者についてお話を伺いました。

【日本最初の星形城郭・戸切地陣屋の再評価】1-2.戸切地陣屋ができるまで(2)-北の守人(もりびと)、父・藤原正蔵と息子・藤原重太(主馬)-

今回はじめて知ったふたりの親子――藤原正蔵と藤原重太(主馬)の名前をぜひ覚えていってください。正蔵は間宮林蔵に同行し、重太は佐久間象山の弟子なので、有名人のすぐそばにいたふたりなのです。

【日本最初の星形城郭・戸切地陣屋の再評価】1-1.戸切地陣屋ができるまで(1)-「北方防衛」と松前藩の歴史と、英主・松前崇広の登場-

まずは戸切地陣屋が築かれる前日譚として、幕末における松前藩の状況について。ぼくは松前藩が一時期、東北に移封されていたことも知らなかったのですが、これって有名?

【家康の謎】家康はなぜ伊賀越えしたのか、他のルートはなかったのか?

よく言われる家康の三大危機のひとつが伊賀越えです。 個人的には本能寺の変のあと、ひとりでも味方が欲しい光秀に対して(ウソでもいいので)同盟の申し出をすれば東海道を素通りさせてもらえたのではないかと思うのですが、混乱中で交渉の時間もほぼない状…

【日本最初の星形城郭・戸切地陣屋の再評価】はじめに

この連載ではまだまだ知らない人が多い、あるいは存在こそ知っていてもその真価を理解できていないぼくのような人たちに対して、戸切地陣屋の魅力やすごさを北斗市郷土資料館の時田太一郎学芸員に解説していただきます。

【家康の謎】本能寺の変での家康黒幕説ってどんな説?

大河ドラマでは「信長を殺す」と名言した家康ですが、史実では京に戻って知恩院で追腹を切ろうとしたと伝わっています。そもそも信長を殺すなら富士山見物の際に実行したほうが成功率は高いわけですしね。ただ秀吉が「やった奴がバカを見る(実行犯が損する…

二条城で開催された学芸員解説会に参加してきました(遠侍・勅使の間)

昨日二条城で開催された「遠侍・勅使の間」の学芸員解説会に参加してきました。特別入室での見どころなども聞いてきたので、レポートにまとめました。

二条城で開催中の「NAKED 夏まつり2023 世界遺産・二条城」の見どころを写真と動画で紹介

7月21日(金)から開催中の「NAKED 夏まつり2023 世界遺産・二条城」の内覧会に参加してきたので、イベントの内容をざっくり紹介させていただきます!

中村優希さんによる「〈幻の安土城〉復元プロジェクト・歴史セミナー 安土城復元研究の過去・現在・未来」参加レポート

3月に大津市で安土城についてのセミナー「安土城復元研究の過去・現在・未来」が開催されました。このセミナーに参加された早稲田大学城郭研究会の中村優希さんにレポートを書いていただきました。

【家康の謎】家康は戦に強かったの?

家康は野戦上手で攻城下手、といった評価がよく言われますがほんとうのところはどうなのでしょう。そもそも討死したからといってそれは一度の敗北を意味するだけですし、戦略と戦術、あるいは戦闘レベルのどの視点で評価するかでもかなり差が出そうですね。

【家康の謎】徳川四天王は誰が決めたの?

四天王はもともと仏教における神々のことですが、聖徳太子(厩戸皇子)が大阪に四天王寺を建立したように日本でも飛鳥時代から信仰されていたようです。なお四天王のひとり、多聞天だけは単独で祀られることも多く、その場合は毘沙門天(びしゃもんてん)と…

細川玉子さんによる「瀬名様と信康様の軌跡を辿る、岡崎の旅」

NHK大河ドラマ「どうする家康」では新解釈の信康事件(築山殿事件)が描かれましたが、岡崎城周辺にあるふたりのゆかりの地レポートを京都・長岡京おもてなし武将隊つつじの細川玉子さんに書いていただきました。 信康事件は謎の多い事件ですが、現在提唱さ…

【家康の謎】家康は倹約家だったの?

「ケチ→倹約家」というのは「デブ→貫禄がある」のように大人の言い換えでしかないと思いますが、お金の使い所を知っている人と言えばまたちがう評価になりますよね。もっとも信長や秀吉など天下人と呼ばれるような人たちは全員その素質はあったと思いますが。

城葱さんの「城もなか」道中記【関東編♯5】

「城もなか」を求めて全国を飛び回る城葱さんが今回向かったのは忍城(埼玉県)と館林城(群馬県)。どちらも歴史的に有名なお城ですが、ここにも城もなかがあるんです。おいしそうな写真とあわせてじっくり楽しんでください!!

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