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徳川歴代将軍の在任期間

ちょっと気になって徳川将軍家における、歴代将軍の在任期間について調べてみました。

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そういえば高校の頃に15代将軍の順番は暗記したけど、それぞれが何年くらい将軍をつとめたかまではおぼえてなかったです。

ざっと整理するとこんな感じです。

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(Google ドライブの制約で後半が欠けています。すべてを見るにはファイルをダウンロードしてください)

家光、家綱、綱吉は、だいたい30年弱でいい感じに世代交代してるように見えますが、じっさいには就任時の年齢がバラバラで、家綱にいたっては若すぎたために叔父の保科正之などがじっさいの政務を担当していたようですね。
(また子どもだったためにそれまで京都・伏見城でおこなわれていた将軍宣下が江戸城でおこなわれることとなり、以降将軍が上洛することは幕末までありませんでした)

こうやって眺めてみると、260年ものあいだ磐石のように思えた徳川幕府も危機的な状況があったんだなあということがよくわかります。

最初の危機は第6代将軍・徳川家宣と、第7代将軍・家継のときでしょうね。
家宣は綱吉が定め悪評の高かった生類憐れみの令や酒税を廃止するなどで民衆の評価は高かったそうですが、わずか4年で亡くなってます。
また家宣の子どもである家継は史上最年少で任官した征夷大将軍ですが、8歳で亡くなっているため在任期間も短かったようです。

ここで純粋な意味での徳川将軍家の系統は断絶して、御三家が登場します。
紀州徳川家より第8代将軍・徳川吉宗が迎えられましたが、吉宗は家継にとって「はとこ大おじ」にあたります。自分の「はとこ大おじ」なんて誰かも知らなければ、会ったこともないですよね。

さて御三家について少し解説しましょう。といってもぼくもおぼえたてなんですけど。
徳川御三家は元々、徳川宗家(=将軍家)の後嗣が絶えたときに備え、家康がつくっています。
「将軍家に後嗣が絶えた時は、尾張家か紀州家から養子を出す」といわれていて、御三家の中でも水戸家はちょっと格下扱いです(でも徳川姓を名乗ることや三つ葉葵の家紋使用が許されたので、御三家には含まれています)。

いわばバックアップとしての存在なのですが、家継に子どもがいなかったので(まあ8歳で亡くなってますからね)、いよいよ御三家の出番がきたというわけです。
まああれやこれやと政治的な駆け引きがあったようですが、結果として御三家筆頭の尾張家を抑えて紀州家の吉宗が第8代将軍に就任します。

吉宗といえば暴れん坊将軍であり、米将軍なのですが、じっさい彼は信条においてもかなりマッチョな人だったみたいですね。
その吉宗がつくったのが御三卿です(正確には吉宗の死後ですけどね)。

ふつう将軍家の次男、三男といった子どもはどんどん養子に出されて、いってみれば他家を乗っ取るために利用されるのですが、吉宗は次男・宗武や四男・宗尹を養子には出さず(三男の源三は生後すぐに亡くなった)、田安家、一橋家(両卿)を創設して江戸城内に住まわせました(吉宗の死後に清水家が創設されて御三卿となった)。
ちなみに田安・一橋・清水の名称は、それぞれの屋敷地が所在する江戸城内の最も近い城門の名称に由来するそうです。

その目的は今後も自分の子孫(紀州徳川家の系統)から将軍を出すためです。ようするに御三家のライバルである尾張徳川家の前に、紀州家内にバックアップを用意しようとする考えですね。これはエグい。
事実、このあと第14代将軍・徳川家茂まで吉宗の系統がつづきますが、そのうち第11代将軍・徳川家斉は御三卿のひとつ一橋徳川家の生まれです(家治に子どもがいなかったので、養子となっています)。

で、この家斉がなかなかキャラクターの強い将軍なんです。
まず将軍在位期間の最長記録保持者(50年)で、生涯で風邪を数回引いたくらいという超健康体で、毎晩浴びるように酒を飲んでも平気だったとか。おまけに精力絶倫将軍でして、特定されるだけで16人の妻妾を持ち、男子26人・女子27人をもうけたといわれています。
なぜ子づくりに励んだのか。家斉がやろうとしたこともけっきょくは徳川家の天下を一橋家の系統で押さえるためで、どの将軍も考えることはみんな同じなんだなあと。

余談ですが、しかもほんとかウソかはわかりませんが、精力増強のためオットセイのペニスを粉末にしたものを飲んでいたので「オットセイ将軍」と呼ばれたそうです。オットセイ将軍て。

このオットセイ将軍・家斉は俗物将軍や腐敗将軍として呼ばれるくらい、幕府財政を悪化させ、それが幕末にも大きく影響したといわれていますが、たしかにこの後の4代で江戸時代は30年ほどしかつづきませんでした。
一方で家斉の在職期間は「化政文化」といわれた江戸文化の絶頂期でもあって、むちゃくちゃな放任政策が結果的に町人文化の発展に貢献したのではないかともいわれています。どんなことにも功罪ってあるものですね。

その徳川幕府、最後の30年のうち、第13代将軍・徳川家定は篤姫(天璋院)の旦那として有名ですね。
家定も幼少の頃から病弱で、実子もなく、またここで将軍後継問題が勃発します。

けっきょく第14代将軍・徳川家茂に決まるのですが、家茂は紀州徳川家で、対立候補の一橋慶喜は一橋徳川家と、御三家と御三卿の争いでもあったわけですね。ちなみに慶喜を推す陣営を一橋派、家茂(徳川慶福)を推す陣営を南紀派と呼んでました。
吉宗以降、紀州徳川家がこうして将軍を歴任してきたことを考えても、人事の仕組みというか、ルールって大切なんだなと思わされます。
この家茂は家光以来、237年ぶりに京に上洛した将軍でもあります。

そして最後の将軍、第15代将軍・徳川慶喜が誕生します。
もともと慶喜は水戸徳川家の生まれで、それが一橋家を相続し、さらに将軍となるわけで、かなり数奇な運命をたどった将軍といえます(しかも在任期間は約1年しかない)。
大政奉還などはみなさんもご存知のとおりですが、慶喜はなんと大正時代まで生きてるんですね。77歳まで生きたので、徳川歴代将軍の中でも最長命でした。

――ということで、ざっと徳川将軍家の歴史を見てきましたが、家康(初代)が安定政権を目指してつくった仕組みの御三家をぶち壊したのが、その御三家から将軍に選ばれた吉宗(8代)で、さらにその吉宗がつくった御三卿から選ばれた家斉(11代)が御三卿も江戸幕府もぶち壊しちゃったということですね。
会社でも、後継者がそれまでの慣習や制度を改革しようとして、結果的に倒産させちゃうことはよくありますが、なんでも変えればいいってもんでもないなあと思いました。

江戸時代って、政治についても、文化についても、いろいろと学べる点がありそうですね。
オットセイ将軍の功罪だけでもまだまだたくさんありそうです。戦国時代を勉強するのも楽しいんですけど、少しずつこのへんも学んでいきましょう。

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