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近江と遠江の由来

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近江と遠江。戦国時代にはよく出てくる国名ですが、もちろんこのふたつは名前が似てるだけあって、無関係ではありません。

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まずは、近江の由来について。

「近江」の名称と由来
近江国は、当初は「淡海(あはうみ、あふみ)」と書き、「近淡海(ちかつあはうみ)」とも呼んだ。『古事記』にも「近つ淡海国」「淡海国」「近淡海国」と記載されている。これらは、当時の琵琶湖の呼称をそのまま国名にしたものである。飛鳥京から藤原宮時代の木簡(大化の改新から律令制までの間)には近江国は「近水海」と記載されている。また「近淡」(海は缺損か)と記載するものもある。

一方の遠江の由来はこちら。

「遠江」の名称と由来
古くは「遠淡海(とほつあはうみ)」と表記した。遠淡海は、一般的に浜名湖を指すと言う。(ただし、国府のあった磐田郡の磐田湖(大之浦)を指すとする説もある。)都(大和国)からみて遠くにある淡水湖という意味で、近くにあるのが琵琶湖であり、こちらは近淡海(ちかつあはうみ)で近江国となった。

近いか遠いかは当時の都である奈良(大和)からの位置関係であり、いずれも淡海(淡水湖)である琵琶湖と浜名湖(または磐田湖)を指してつけられた国名のようです。
なるほど、シンプルでじつにわかりやすいです(遠江の由来は浜名湖ではなく磐田湖を指すという異説もあるそうです)。

ちなみに現在の浜名湖は海と直結してるような形状となっていますが、これは1498年(明応7年)に起きた明応地震で陸地部分が決壊して消滅したためで、命名された当時はもっとはっきりした湖だったようです。
なお決壊して海に出やすくなったことで、気賀など浜名湖畔の町が海運による交易拠点として栄えたことは「おんな城主 直虎」でもやってましたね。

廃藩置県でそれぞれ滋賀県、静岡県に

明治維新を迎え、廃藩置県が行われると、近江国は大津県と長浜県になって、さらに大津県が滋賀県に、長浜県が犬上県にそれぞれ改称され、さらにさらに両県が合併して滋賀県となります。

遠江国のほうは浜松県となって、さらに静岡県(旧駿河国)や足柄県の一部(旧伊豆国)と合併していまの静岡県になります。

こういう旧国名の由来も調べていくとおもしろそうですね。
近江のお城、遠江のお城、についてはこちらから調べることができます。

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