攻城団ブログ

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内郭と外郭

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攻城団のデータにも内郭と外郭という項目を用意していますが、いつも「どういう意味だったっけ?」と迷うので整理しておきます。

辞書的にはこんな感じでまとまっています。

内郭と外郭

内郭(うちぐるわ、ないかく) 城などの内側に築かれた囲い。またはその囲まれた内部のこと。
外郭(そとぐるわ、がいかく) 城や建物の周囲にめぐらす囲い。またはその囲まれた内部のこと。総構え(そうがまえ)。

これだけではわかりにくいのですが、外郭については「総構え」といいかえるとわかりやすくなります。
つまり城だけでなく、城下町一帯も含めた区域ということですね。
(その外周を堀や石垣、土塁で囲んだ構造になっていることが条件)

一般に「城」あるいは「城域」という場合は、内郭のみを指すようです。
また、総構えの堀は総堀(惣堀)といいますが、外堀といわれることも多いです。ただしたんに外堀と呼ぶ場合は本城の外側の堀(=内郭の外周を囲う堀)を指す場合があるため、わかりにくいですね。

惣構えというと、小田原城江戸城が有名ですが、じっさいには江戸時代には多くの城で見られた城郭構造です。
ちなみに小田原城の総構えは2里半(約9km)におよぶ空堀と土塁で城下町全体を囲む長大なものでした。
大坂城の外郭も周囲2里の長さで、「大坂冬の陣」で真田幸村が築いた出丸(通称「真田丸」)は外郭南門の外側に築かれたものです。

江戸城の外郭は史上最大の規模で、堀・石垣・塀が渦状に配されて江戸市街のすべてを囲んでいました。

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豊臣秀吉が築いた京都の「御土居(おどい)」も典型的な総構えで、その総延長は5里26町余(22.4km)にもおよびました。

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なお、現在判明している総構えの最古の遺構は、有岡城のものです。
天正年間に荒木村重により改修され総構えとなりましたが、10年ほどで廃城となっています。
(余談ですが有岡城と呼ばれたのは荒木村重が城主だった期間だけで、それ以前は伊丹城と呼ばれていました)

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