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長光寺城 柴田勝家が籠城をやめて、決死の出撃をした城

 長光寺城は滋賀県近江八幡市にある城で、瓶割山にあった山城だ。1468年(応仁2年)に建てられたと伝わっている。
 織田信長が近江侵攻によってここを手中に収めると、1570年(元亀元年)に家臣の柴田勝家を偵察のために城に入れた。勝家は元々信長の弟・信行に仕えていた。当初は、「うつけ」と呼ばれる信長を排して、自らの君主を織田家の当主にしようとさえしていた。だが、陰謀が失敗して、信長に倒されてから心変わりしたのかもしれない。信行が再度信長を討とうと企てた折に君主を裏切り、信長の家臣となっている。信長も戦で先鋒を任せるなど、勝家の手腕を買っていたようだ。

 そんな勝家を攻撃したのは、南近江の守護大名・六角氏だった。義賢親子は侵攻を進める信長に対抗するために勝家がいる長光寺城を攻めている。
 六角氏が城を取り囲むと、勝家は籠城戦の構えをとった。義賢が農民を懐柔して城の情報を聞き出すと、城には水源がなく、桶を使って水を運ばせているという情報を手に入れた。
 守りの固い長光寺城を攻めては被害が大きくなると考えた義賢は、城への水源を絶ち、兵力を削ぐ作戦に出た。兵を分けて水路を絶ち、和平の使者を派遣して、彼に城の内情を探らせた。
 義賢の作戦通り、城内では水が不足するようになっていった。その作戦は勝家も見抜いており、黙って水がなくなるのを待っているわけではなかった。使者が報告することを見越して、銅盤に並々と水をいれて使者に出し、口を漱いだり、手を洗うように勧めた。そのため、使者は義賢らに水には困っていないと報告したそうだ。勝家のゆとりに六角側は困惑させられた。すべては勝家の作戦通りであった。
 だが、長光寺城で水が不足していることには変わりない。このまま籠城を続けていくことはできないと判断し、外へ出て戦うことを告げ、瓶に残っていた水を城兵に配り、残った瓶を割ってしまった。
 翌日、城を出た勝家の兵は、六角軍と渡り合い、敗走させることに成功している。この戦果により、勝家は加増を受けている。その後も勝家は織田家中で力を持ち、家臣団筆頭という地位まで上り詰めた。長光寺城の戦いで見せたように、いざという時に決死の覚悟で臨める勝家だからこそ、その出世はあったのだろう。

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