今日クリップしたこのニュース。
記事の中で、個人的に興味深いのがこの部分です。
また他の深さ約30センチの付近から、瓦の破片が多数見つかった。1872(明治5)年ごろの古写真に長塀が写っていないことから、塀はそのころまでにいったん取り壊され、後で盛り土した上に再建されたとみられている。発掘された破片は、取り壊し前に塀に載っていた可能性があるという。
明治時代というとわりと最近で、記録も残ってそうな印象がありますし、おじいちゃん(おばあちゃん)やひいおじいちゃん(ひいおばあちゃん)が見たり聞いてたりしてそうな気もしますが、現実としてはわからないことばかりです。
去年、明石城について調べていたときも明治時代に取り壊された乾櫓の向きがわからないと聞いて、約150年前なら写真はなくても見た人の伝聞でわかりそうなものなのになと不思議に思ったものです。
もちろん現代は写真や映像が残ってることも多いので、未来の人が困ることも少ないのでしょうが、とはいえその時々の記録をちゃんと残していくのは大事だなとあらためて思いました。