今回の「京の冬の旅」で特別公開の対象となっている妙心寺の塔頭は3つあります。そのうち天球院と麟祥院はすでにレポートを書いたので、今回が最後のひとつ龍泉菴(りょうせんあん)です。
ここは通常非公開で、5年ぶりの公開だそうです。
ここは妙心寺の塔頭の中でももっとも寺格の高い「妙心寺四派(四派四庵)」のひとつです。
妙心寺四派とは
妙心寺四派(しは)というのは、龍泉派・東海派・霊雲派・聖澤派の四派を指します。妙心寺派の寺院はすべて四派のいずれかに属しています。
また四派の本庵(拠点)が龍泉庵、東海庵、聖澤院、霊雲院で、この4つの塔頭がトップ4というわけです。
ちなみに「応仁の乱」で伽藍が焼失した妙心寺を再興したのは雪江宗深(せっこうそうしん)です。
雪江は自分の没後、景川宗隆(けいせんそうりゅう、龍泉派)、悟渓宗頓(ごけいそうとん、東海派)、特芳禅傑(とくほうぜんけつ、霊雲派)、東陽英朝(とうようえいちょう、聖澤派)の4人で交代で住職をつとめるように決め、「禅は景川、徳(福)は悟渓、寿(頌)は特芳、才は東陽」と4人を評したそうです。
龍泉菴は四派の中で最初に創建された寺院です。
見どころは杉戸絵
この龍泉菴には重要文化財の長谷川等伯筆「枯木猿猴図(こぼくえんこうず)」がありますが、現地にあるのは複製です。本物は京都国立博物館にあります。
また狩野探幽筆「観音・龍虎図」は本物が展示されています。これは掛け軸で間近まで近づいて見ることができます。残念ながら撮影不可だったのと、パンフレットの写真も小さくてうまく撮れませんでした。
ただ個人的にはこの龍泉菴のいちばんの見どころは、72面あるという杉戸絵です。
狩野派が描いたとされる杉戸絵は撮影オッケーだったのでまずはご覧ください。この虎の杉戸絵とかすごいでしょう。
この絵はいわゆる「鯉の滝登り」ですが、「登竜門」の話(中国の黄河中流にある急流「竜門」を登りきった鯉が竜になるという伝承)を描いてるんでしょうね。
こういう中国由来の話をいくつか知ってると杉戸絵や障壁画のモチーフが理解できて楽しくなります。
以下の絵はヤマアラシのようですが、これはガイドの方も由来がわからないとおっしゃってました。
これは「司馬温公のかめ割り図」です。
北宋の政治家・司馬光が子どもの頃、水瓶に落ちた友だちを助けるために石で瓶を割り、叱られることを覚悟して父親に打ち明けたところ、瓶よりも命のほうが大事だとほめられたというエピソードです。
この話をモチーフにした彫刻が日光東照宮・陽明門の正面中央にもありますね。ぼくははじめて教わったんですけど、けっこうあちこちにあるみたいです。たぶん当時の芸術会では常識的な古典だったのでしょう。
ほんとうにあちこちに杉戸絵があるのですが、外にあるものはかなり色落ちが激しいですね。一方、屋内のものはきれいに色も残っています。
もうひとつだけ紹介します。
この絵はどんなシーンを描いているかわかりますか?
右側の人物は踊ってるんですけど、なんで踊ってるかというと中国の西方では蛇を食べる風習があって、これは蛇を見つけた人が歓喜して踊ってる様子を描いてるそうです。蛇はごちそうだったのでテンションが上ってる図です。
じゃあどこに蛇がいるのかというと、左下です。色がはげてますが、たしかにヘビがいます。
正式名称は「還城楽(げんじょうらく)」といいます。「見蛇楽(けんじゃらく)」「還京楽」ともいうそうです。
京都御所・御常御殿(おつねごてん)の杉戸絵にも描かれてるそうです。また厳島神社などでは舞楽として上演されることもあるようです。
飾り金具も必見
引手金具や釘隠しなど、二条城の二の丸御殿に匹敵するくらいの美しい飾り金具があります。
近代の作品である方丈襖絵や庭園も見事
方丈の襖絵は日本画家・由里本出氏が描かれています。
室中の襖絵は、仏教が西から東へ伝来する様子を描いた「種々東漸図(しゅじゅとうぜんず)」です。
また方丈南に枯山水式庭園があります。
今回訪問した妙心寺の3つの塔頭、天球院、麟祥院、龍泉菴はだいたい2時間くらいでぜんぶをまわることができると思います。
「京の冬の旅」のスタンプラリーでこの3つを回れば、妙心寺のとなりにある花園会館で抹茶がいただけるのでその時間も含めて予定を組むといいかもしれません。
特別公開は3月18日までです。
最後に過去のレポートも紹介しておきますね。