城団のオリジナル御朱印帳が届いたので、最初にどこで御朱印をいただこうかと迷ったのですが、うちの近所でしかも織田信長を祀っている建勲神社にしました。
ここは船岡山城跡でもありますしね。
建勲神社はこんな神社
建勲神社は織田信長を主祭神とし、明治天皇の命により創建された神社です。「建勲」の神号は明治天皇が下賜されたそうです。
ちなみに正式には「たけいさおじんじゃ」と読むのですが、みんな「けんくんじんじゃ」と読んでますね。
この船岡山は平安京造営の際、四神相応の玄武(北の基点)としていわゆる碁盤の目の町並みをつくる基準になりました。「応仁の乱」の際は西軍の陣地・船岡山城として築城されましたが、すぐに廃城となっています。
その後、織田信長が「本能寺の変」で討たれると、後継者として名乗りを上げた羽柴秀吉によって信長の廟所と定められました。その由来もあり、ここに信長を祀る神社が創建されたわけです。
建勲神社の御朱印
御朱印は社務所でいただけます(9:00~17:00、年中無休)。
建勲神社の御朱印は2種類あり、こちらは通常の「建勲神社」と書かれたものです(300円)。「天下布武」の朱印がカッコいいです。
御朱印をいただく際、墨が移らないように半紙が挟まれる事が多いのですが、建勲神社では上の写真のとおり、信長の「でかした」スタンプが押された紙が挟まれていました。このスタンプは寺町の田丸印房さんで売ってるやつかなあ。
もうひとつは見開きで書いていただく「天下布武龍章御朱印」で信長の花押が入っています(500円)。
両方の御朱印をいただくことは失礼にあたらないんですかと尋ねたところ、ぜんぜんそんなことないですよとおっしゃってくださったので、両方書いていただきました。
ほかにも「敦盛」が書かれたものなどが書置きでありました。
建勲神社には「桶狭間の戦い」で信長が今川義元から戦利品として奪ったとされる重要文化財「義元左文字(宗三左文字)」があり、また「薬研藤四郎」の再現刀が奉納されるなど、信長にまつわる刀剣が所蔵されていることから、刀剣バージョンの御朱印(御朱印色紙)もあります。こちらは書置きでした。
「へし切長谷部」の特別御朱印もはじまりました。
織田信長公ゆかりの刀剣「へし切長谷部」の特別朱印(初穂料:300円)の令和元年版を奉製しました。平成29年に授与したものの復刻版となります。明日9月7日(土)より授与を開始します。 pic.twitter.com/ujlg4UMRcY
— 建勲神社 (@kenkun_jinja) September 6, 2019
御朱印帳も販売されてます。やっぱり「天下布武」を使えるのは強い。
全国にある建勲神社
京都だけでなく、建勲神社は山形県天童市と兵庫県丹波市にもあります。もちろんすべて織田信長を祀っています。
いずれも織田信長の次男・信雄の子孫で、四男・信良の系統が小幡藩→高畠藩→天童藩と移り、廃藩置県を迎えました(天童織田家)。そして五男・高長の系統が宇陀松山藩→柏原藩と移り、廃藩置県を迎えました(柏原藩織田家)。
織田信雄は「小牧・長久手の戦い」で秀吉と戦い、連合を組んでいた家康に無断で和睦し、さらに「小田原征伐」で武功をあげながら三河・遠江への転封を嫌がって改易となり、「大坂の陣」後に大名として復帰するなど、波乱万丈の人生を送っていますが、織田の血脈をこうしてつないだことは評価されるべきでしょうね。
船岡山城として攻城も
冒頭に書いたとおり、いちおうここも城址です。
山頂西側には少しだけ広場があるのですが、ここからは京都タワーまで眺望できるので、「応仁の乱」のときは木もなかったでしょうからかなり見晴らしが良かったんでしょうね。
下の写真の左端に京都タワーが見えているのがわかりますか。
散歩ついでにけっこう夕方に出かけたのですが、これから京都市内を中心にいろいろと戦国武将にゆかりの寺社をめぐって御朱印集めをはじめようと思います。
船岡山城の情報はこちら。