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【受験にご利益あり?】全国にある「落ちない城」一覧

お城というものは基本的には敵から守るために築かれるものです。
(石垣山城や墨俣城などに代表されるように敵の城を攻めるために築く陣城・付城・向城などもありますけどね)

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姫路城や彦根城のように一度も攻められたことのないお城もありますが、小勢力が割拠していた戦国時代のお城は何度も戦火に巻き込まれています。
なかには炎上して再建してまた攻められて炎上してという悲しいお城も多々あります。攻め手はすぐ火をつけますから……。

しかし敵の攻撃を受けながらも籠城戦で何度も撃退したお城もあるんです。
もっとも有名なのは二度にわたる合戦で徳川軍を撤退させた上田城でしょうか。こうしたお城では一度も落城しなかったことから「落ちない城」としてとくに受験生向けにアピールしています。
最近は「合格祈願絵馬」を販売したり、「御城印」を受験のお守り代わりにするケースも増えているようです。

そこで、国内にどのくらい「落ちない城」でPRしているお城があるのかを調べてみました。

城址が神社なのでお守りは本物

上田城

まずは冒頭で紹介した上田城です。
真田昌幸が徳川家康に援助を依頼して築城したにもかかわらず、1585年(天正13年)の第一次上田合戦、1600年(慶長5年)の第二次上田合戦と徳川軍が二度とも惨敗したことは大河ドラマ「真田丸」でも大きく扱われたのでみなさんもご存知のとおりです。
上田城は合戦では腐敗でしたが、昌幸と幸村(信繁)が九度山に配流されたあと徳川軍に破却されました。現在は本丸跡に眞田神社(真田神社)が建立されており、以前から受験生の祈願が多いことで有名でした。

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唐沢山城

上杉謙信の10度にわたる攻撃を籠城戦で防いだことで知られる「関東一の山城」です。
戦国時代、佐野氏は相模の北条氏、越後の上杉氏と南北から進出してくる二大勢力に挟まれており、城主・佐野昌綱は上杉謙信についていたのですが、のちに離反して謙信を怒らせます。結果、何度も攻められるのですが、すべて撃退したわけではなく、じっさいは降伏しておき謙信が春日山城に帰ると寝返ってということを繰り返しています。国衆や小勢力の生き残り策としてはよくあることですね。
現在は本丸跡に唐澤山神社が建立されており、近江三上山の百足退治の伝説で知られる藤原秀郷が祀られています。秀郷にあやかった「勝守(かちまもり)」も御利益がきっとあると思います。

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南北朝時代の「落ちない」城

白旗城

おそらく最初に合格祈願で「落ちない」をアピールしたのが白旗城だったんじゃないかと思います。
1335年(建武2年)、後醍醐天皇に反旗を翻した足利尊氏に味方する赤松則村(円心)が、九州に落ちる尊氏を追う新田義貞の軍勢約6万をわずか2千の兵で約50日にわたって足止めしたことで知られます。不敗・不落かというとそんなことはなくて1507年(永正4年)には一族内の争いで落城したりもしています。
2016年(平成28年)から「合格祈願絵馬」を上郡町観光案内所や赤松公民館、上郡町役場産業振興課で無料配布しています。

落ちない城 白旗城 – 上郡町観光協会

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千早城

南北朝時代の城というともうひとつ、楠木正成が鎌倉幕府方の大軍を撃退した千早城が有名です。
幕府軍100万の兵を相手に、わずか1000の手勢で守り抜いたとされますが、じっさいの兵数はよくわかりません。ただ大軍を相手にゲリラ戦で戦ったことは確かで、千早城で幕府軍を釘付けにしていたからこそ、手薄となった鎌倉を新田義貞が攻略することに成功し、鎌倉幕府は滅亡することになります。
その後、千早城は楠木氏の居城となりましたが、1392年(明徳3年)正月楠木正勝の時に北朝方の畠山基国に攻められ落城し、南北朝時代の終焉を迎えることになります。
現在は本丸跡に千早神社が建立されています。

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難攻不落の山城では御城印がお守り代わりに

月山富田城

山陰の覇者・尼子氏の170年間にわたる居城として知られる月山富田城は難攻不落の城としても有名です。
とくに大内義隆が毛利氏などの諸勢力を引き連れ、約4万5千の大軍で攻め込んだ第一次月山富田城の戦いでは、尼子方は約1万5千の兵で撃退しています(敗れた大内氏はその後衰退)。
しかし1565年(永禄8年)には毛利元就が月山富田城へ攻め込んだ第二次月山富田城の戦いでは徹底した兵糧攻めをおこない、城主・尼子義久は降伏し落城していますので、こちらも不落ではありません。
2018年4月から発売されている御城印が験を担ぐ受験生のお守りとして人気です。

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国吉城

若狭守護・武田氏の重臣で武田四老のひとりである粟屋勝久が城主をつとめた国吉城も難攻不落の城とされます。
勝久は1563年(永禄6年)から1569年(永禄12年)の間、毎年のように攻め寄せる越前朝倉氏の軍勢を撃退しており、とくに1568年(永禄11年) には主君の武田元明が朝倉氏に降ったにもかかわらず、降伏勧告を拒否しています。
1570年(元亀元年)には越前攻めのために織田信長が入城し、勝久の武勲を賞賛したほどです。勝久はその後の一乗谷攻略の際には一番乗りの武勲を挙げ、幽閉されていた元明を救出する活躍をしています。
現在、若狭国吉城歴史資料館で販売されている国吉城の御城印には「難攻不落」の朱印が入っており、受験生のお守りとしても購入されているようです。

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ほかにもあります

忍城

映画「のぼうの城」の舞台にもなった忍城は豊臣秀吉による「小田原征伐」の際、石田三成が率いる2万6千の大軍に攻められながら、わずかの兵で籠城して耐え抜き、落城しなかったことから「落ちない城」としてPRしています。
成田氏長の娘・甲斐姫をモチーフに作られたお守りがJR行田駅前観光案内所のほか、行田市郷土博物館・行田市役所・観光情報館ぶらっと♪ぎょうだ・古代蓮会館・前玉神社・高源寺で販売されています。

落ちない御守り発売中!|行田市観光ブログ

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富岡城

一般的には知名度が高くありませんが、熊本県天草郡苓北町にある富岡城も「落ちない城」としてPRしています。
富岡城は1637年(寛永14年)に天草四郎を盟主として蜂起した「島原・天草一揆」において、一揆軍による猛攻撃を受けるも耐え抜いて撤退させました。
現在は本丸跡に熊本県富岡ビジターセンターが建てられており、二の丸跡にある苓北町歴史資料館で販売されている御城印は地元でも「落ちない」御利益があるとしてオススメされています。

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まとめ

籠城戦は後詰(味方の救援)があることが条件です。また戦国時代は農民兵が多かったので田植えの時期や収穫期には撤兵しなければならなかったり、雪国の場合は道が閉ざされる前に帰国しなければならないといった時間切れを狙った籠城戦もあったようです。
(忍城の場合は主家の北条氏が降伏するという形での時間切れでした)

城が攻められるときというのは、敵兵は守備側の数倍であることがほとんどです。そうした圧倒的不利の状況でも負けなかったという事実は縁起を担ぐという点において、とても重要ですよね。
不屈の精神にあやかるという意味でも、こうしたお城のお守りや御城印を手に入れることで、気持ちが前向きになったり、勇気が湧いてくるのであれば、それは十分な価値があると思います。

全国の神社にはよく「勝守」がありますし、それを合格祈願、必勝祈願として買われる方も多いと思いますが、城好きの方であればさらに「不敗」を祈願してここで紹介したお城のグッズを入手するのもいいかもしれません。

ほかにも滋賀県の三雲城にある「八丈岩」のように「落ちそうで落ちない岩」をパワースポットとして受験生が合格祈願に訪れるなんて話もあるそうです。

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