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【戦国合戦こぼれ話】忍城攻防戦、甲斐姫の奮戦

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豊臣秀吉による全国統一の終盤に行われた小田原攻め。
堅固な小田原城に籠る北条氏に対して、秀吉は全国の武将たちを動員し、陸と海両面から城を包囲した。
100日に渡る攻撃に耐えきれなかった北条氏は、ついに秀吉に降伏したのであった。

秀吉は戦場に側室の茶々を呼びよせるなど、余裕しゃくしゃくといった面持ちであったが、唯一豊臣方をてこずらせた相手がいた。
支城である忍城主・成田氏長の娘、甲斐姫である。

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この時、氏長は小田原城を助けるべく忍城を空けていた。
そこへ秀吉の優秀な部下として名高い石田三成が攻めてくる。
忍城が水城であったことから、三成は秀吉が織田信長に仕えていた時代、備中高松城を落とすのに使った水攻めを試みた。
ちょうど梅雨時でもあったし、この作戦は成功するかと思いきや、痛い目を見たのは三成の方であった。
堤防を築いて川をせき止めたはいいものの、その堤防が決壊して兵数百人が溺死。
しかし忍城は周囲で一番高い場所にあったために被害を受けることはなかったのである。

面子を潰された秀吉勢は、その兵力をもってして今度は強引に城に突撃することに。
集められた武将の中には真田幸村や大谷吉継など有名武将もいた。
忍城に残された兵力は800人程度。
秀吉勢の大軍にとても敵うわけがないかと思われたが、甲斐姫が奮戦した。
甲斐姫は成田家に伝わる名刀「浪切」と、実母の形見である短刀を持って自ら城を出た。甲斐姫は当時19歳。少女が戦場に現れたのだ。

敵陣から「勝った暁に妻としてくれる」と名乗りをあげた若武者を、甲斐姫は側近に持たせていた弓であっさりと射抜く。
その後も凛と戦う甲斐姫の姿に忍城勢は勇気づけられ、ついに落城することはなかった。
しかし、肝心の小田原城が落ちてしまう。
これにより忍城での戦いも終結し、甲斐姫は堂々とした姿で城を出た。
その後彼女は秀吉の側室になっている。

初出:『歴史人』ウェブサイト(2012年1月19日)

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