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日本一の槍を呑み取った母里太兵衛(黒田節)

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 酒は飲め飲め
 飲むならば
 日の本一の
 此の槍を
 飲みとる程に
 飲むならば
 これぞまことの
 黒田武士

という歌を聴いたことのある人は多いはず。
いわずと知れた「黒田節」で、もとは「筑前今様(今風の歌、の意)」と呼ばれていた歌である。

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この黒田節の「節」は「節(ふし)」と「武士」のダブルミーニングになっており、戦国時代末期に実在した黒田家のとある武士の逸話がもとであるとされる。
そのため、福岡藩黒田家に使える武士たちの酒宴には欠かせない歌として愛されたという。

さて、その黒田節のモチーフになったのが今回紹介する母里太兵衛(もり・たへえ)、本名は友信(とものぶ)である。

黒田孝高(いわゆる官兵衛)・長政の2代に仕えて戦功を立てた歴戦の将で、いわゆる「黒田24騎(25騎とも)」の1人にも数えられている。
一度口にしたことはのちに過ちとわかっても翻さないような、頑固一徹かつ剛直な男であったという。

そんな彼が福島正則の酒宴に出席したのは朝鮮出兵が休戦中のころ、京は伏見城でのことだった。
このとき、正則は大杯になみなみと注がれた酒を太兵衛が飲み切れるかどうかに秘蔵の宝物をかけた。
これを受けた太兵衛は見事大杯の酒を飲み干し、賭けの品――正則が豊臣秀吉から拝領した名槍「日本号」を勝ち取った。
すなわち「日の本一の槍」を「飲みと」って見せたのである。

このエピソードは戦場での槍働きの話ではない。
しかし当時の武士たちは大酒飲みが普通で、宴の席では誰もが大いに飲んだという。
それならば、酒の挑戦を受けずに引き下がることには大きな恥、という価値観があったはずだ。
しかも太兵衛は黒田家を代表して福島家に出向いている。
ここで引き下がるということは、武士が命以上に大事にする誇りを傷つけることに他ならなかったのである。
武士が誇りを守るのは、戦国の世において「あいつは弱そうだ」「あいつは信用ならない」と思われると、すぐに同盟相手や家臣から裏切られ、滅亡に追い込まれかねなかったからだ。

死は本人ひとりの問題かもしれないが、名誉は家の問題だったのである。
その名誉を守るためだったのだから、これは酒を使ったある意味での合戦だった。
それに勝利して誇りを守った太兵衛の逸話が長く歌として残ったのはよくわかる話ではないだろうか。

初出:『歴史人』ウェブサイト(2012年2月20日)
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