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【プレゼントあり】沖縄県立博物館で開催中の「グスク展」を取材してきました

記事執筆の背景、関係性の開示
今回の取材は沖縄県・一般財団法人沖縄観光コンベンションビューローおよび沖縄県立博物館・美術館の協力により、本来休館日である12月23日(月)に特別入館させていただきました。そのため記事中には一部、撮影禁止の写真も掲載しております(許諾済み)。
また通常1100円かかる観覧料も自己負担なしで取材させていただいたことを開示しておきます。

今回の沖縄訪問にあたり沖縄特有の城、すなわち「グスク」について理解を深めたいと思っていました。
現在、沖縄県には首里城や今帰仁城など世界遺産に登録されているグスクが5つもあり、それ以外にも美しい曲線的な石垣が残るグスクが各地に残っています。しかしながらその歴史や用途についてちゃんとわかっていないので、本土の城との共通点などを教わりたいと思っていたところ、ちょうど沖縄県立博物館・美術館で特別展「グスク・ぐすく・城 -動乱の時代に生み出された遺産-」が開催されていたので、取材させていただいたというわけです。

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沖縄県立博物館・美術館はグスクをイメージしてデザインされた素敵な建物です。
入口にあるジンベイザメのオブジェがかわいいですね。

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当日は主任学芸員の山本正昭さんに3時間半にわたり展示の案内していただきましたので、その一端とぼくが学んだことなどをお伝えできればと思います。

グスク展の概要

最初に今回のグスク展について紹介します。
ちなみに展覧会のタイトルには「グスク・ぐすく・城 -動乱の時代に生み出された遺産-」とカタカナ、ひらがな、漢字のグスクが並んでいますが、山本さんによればこれはいろんな表記があるのでどれで読んでもいいように併記しただけで「読む際はひとつだけでいいんだけど、みなさん律儀に3回読んでくださるんですよね」とおっしゃってました。
(なので本記事では「グスク展」と簡潔に記載しています)

展示の構成はプロローグとして「グスクとは何か?」というぼく自身もっとも知りたい問題提起があり、以降7つのブロックにわけられています。

第1章 グスクへの道
第2章 グスクの形を見る―その実相を解剖する―
第3章 争った人々の足跡―グスクから出土した武器・武具―
第4章 グスクと権力―琉球王国への道―
第5章 グスクの中の聖域―祈りの場としてのグスク―
第6章 伝えられたグスクの姿―かつてのグスク、その記憶と記録―
第7章 これからのグスク像―まとめにかえて―

山本さんのお話で印象的だったのが、通常こうした学術的な展覧会になると文字情報がどうしても多くなってしまい現地をイメージしづらくなるので、今回の展示ではジオラマ模型を用意したり、AR/VRといった技術を利用して、臨場感を伝えたり、現地のグスクの様子(ときにはかつての様子)を思い浮かべながら鑑賞してもらえるよう工夫したという点でした。

たしかに文字でいっぱいのパネルが多い展覧会はそもそも人混みですべてを読めなかったりしますし、写真だけでは「部分」しか見せられないので、城郭として見た際の全体的な縄張りを紹介することができません。
今回はドローンで撮影した映像がループ再生されていたり、精巧につくられたジオラマ模型が展示されていたりと、どういう立地にグスクがつくられているのかがよくわかるようになっていました。

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では今回教わったことや、帰宅後に調べたことなどをあわせて紹介していきます!

グスクとはなにか、城(しろ)とはちがうのか

ぼくがグスクについて知っていることは、たいして多くありません。
かつての琉球では城郭的に使用され一部は戦乱の舞台になったこと、自然地形を利用していること、アーチ型の門や曲線的な石垣といった外観的な特徴といったことくらいです。

沖縄全土に300ほどのグスクがあったといいますが、そもそもどのような経緯で誕生したのかも知りません。

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まず最初に伺ったのはグスクが誕生する前の話です。
そもそも琉球に文化が伝わったのは北からだと考えられているそうで、具体的には喜界島あたりから南へ伝わっていったようですが、この喜界島にあるのが城久遺跡(ぐすくいせき)です。

読み方も「グスク」とあり、関連性を感じずにはいられませんが、最近の調査研究成果ではこの喜界島にヤマト朝廷の出先機関があったと見られています。
さらに中国産や朝鮮半島産の陶磁器などが出土しているほか、12世紀頃には鉄の精錬技術があったことなどもわかっており、近年は喜界島周辺の重要性が再評価されています。

この喜界島から人や文化が琉球に伝わっていくのですが、沖縄本島(宜野湾市)にある普天間後原第二遺跡(ふてんまくしばるだいにいせき)では山を背に集会所のような大きな施設があったり、倉庫や住居などが区画整理されていたり、集落と拝所といったのちのグスクにつながる位置関係が見られます。
ちなみに会場内には専用のタブレットが用意されており、AR(Augmented Reality:拡張現実)を使って遺跡の様子を立体的に見ることができました。

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城との共通点も意外と多い

本土における「城(しろ)」の起源も諸説ありますが、現在の定説としては吉野ヶ里のような「環濠集落」から発展したとされています。
つまり稲作が普及し、食料が備蓄できるようになると、それを奪い合うムラ同士の争いが生まれ、防衛を目的に堀や土塁を構築して集落の城塞化が進んだということですが、グスクの誕生も流れとしては同じようです。

ただし沖縄の場合は地面がすぐ岩盤にあたるので堀を築くことは少なく、もっぱら山の斜面や崖など自然地形を利用したようです。なお堀を築いた際に出た土は本土であれば土塁として使われますが、グスクの場合は土塁ではなく平場をつくったり、掻き揚げのために使ったようです。
本土の城が堀と土塁を築いて地面に対して上下の高低差をつくっていたのに対して、グスクの場合は基本的に石積みを使って上方向のみの防御施設を築いているというのはおもしろいですね。

その後、14世紀に入ると各地で石積みや堀切を用いたグスクが数多く出現するようになっていくのですが、ムラが大型化していって「按司(あじ)」と呼ばれる首長が権力を増大させていく流れも本土における豪族や国衆の出現と似ていますね。

さまざまな特徴を持ったグスク

今回のグスク展の見どころのひとつが、ジオラマ模型の展示です。
本土の城の分類には山城や海城といった立地による分け方のほか、居城かあるいは砦や台場のような限定的な用途かでも分けられます。
ぼくはこれまでグスクにはせいぜい本城と支城(砦)くらいしかないと思っていましたが、山本さんの案内によれば台場のようなグスク、倉庫的な機能を有したグスクなどもあったそうです。

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上のジオラマ模型は当時の那覇港を想定したものです(右上が外海)。
いまは埋め立てなどで様子がかなりちがっていますが、当時は両岸に三重城(みいグスク)や屋良座森城(やらざむいグスク)といった台場があり、港の防衛を担っていました(屋良座森城は現在埋め立てにより消滅)。

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さらに入港した船には正面に巨大な城壁を持つ御物城(おものグスク)を築いて見せることで威圧しています。御物城は海外貿易品の貯蔵庫(宝物庫)としても使われており、「ブラタモリ」でタモリさんが見学していたところですね(米軍基地内なのでぼくらは行けない場所です)。

余談ですが、当時この貯蔵庫を管理していた役人の職位を「御物城御鎖之側(おものグスク おさすのそば)」といい、倉庫の管理だけではなく那覇の行政や貿易業務まで担当する、もっとも権力のあるポストだったようですね。尚泰久王の時代には金丸(のちの第二尚氏王統の祖・尚円王)がその地位にありました。
金丸(尚円王)については、翌日に出身地の伊是名島を取材する予定だったのですが、ここでつながるとは思いませんでした。

ご存知の通り、沖縄は周囲をリーフと呼ばれるサンゴ礁で囲まれているので、規模の大きな船が入港できる良港が3か所しかありませんでした。
それが那覇港、南風原(はえばる)港、運天(うんてん)港の3か所で、それぞれ那覇港は首里城(首里グスク)、南風原港は勝連グスク、運天港は今帰仁グスクと当時の大グスクとセットになっているのは海外交易が繁栄をもたらしたことを裏付けていますし、首里が王都に選ばれた理由でもあります。
同時にこれは防衛すべき湾岸を限定できたという琉球のメリットでもありますね。

ほかにも久米島にある久米島具志川グスクからは首里にしかないような貴重な長頸瓶(ちょうけいびん)などが発掘されているそうです。
これは中国から那覇に向かう際に、久米島が寄港地として使われたことを意味していて、おそらくこのグスクの按司が水や食料の補給と引き換えに入手したと考えられています。

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また同じ久米島には宇江城城(うえぐすくグスク)という県内最高所(標高約300m)にあるグスクがあります。
このグスクがまた不思議なグスクで、本来グスクの周囲には城下町(集落)があるはずなのになにもないのです。人が住んだ形跡がないのに5mの城壁で守られていたり、龍の柄が入った高価な青磁高足杯や天目茶碗などが見つかっています。

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山本さんの説では、見晴らしのいい場所にあったということは麓からもよく見えたということなので、久米島の按司たちの共同倉庫として使われていたんじゃないかとおっしゃっていました(悪いことすると見つかるので)。

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会場ではこうした特徴的なグスクがジオラマ模型となって展示されているのですが、細かい部分まで丁寧に復元されているのですごかったです。家に持って帰りたいくらいよくできてました。

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ちなみにこのコーナーではおもしろい写真も展示されています。
中国の写真なのですが、グスクの起源は中国の城(都城)にあるのではないかという仮説のもと、福建省の古城を山本さんがじっさいに訪問して調査されたそうです。
なぜ福建省かというと琉球に近く交易があったことに加えて、当時は中国でも倭寇対策として築城ラッシュがあったことが理由とのこと。海岸線に多数の城が築かれましたが、現地で見比べてみたところ、似て非なるものだという結論に達したそうです。中国の城は城壁も直線的でほぼ同じ形状ですからね。

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グスクの石垣も野面積みから進化している

本土の城の石垣は野面積み→切込接ぎ→打込接ぎと石材の加工技術の発展とともに積み方も進化していますが、グスクの石垣も同様です。

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ただし野面積みこそ共通なのですが、その後は布積み(豆腐積み)、相方積み(亀甲乱積み)と進化します。本土の場合は布積みは石垣の目地が通っている場合に呼び、また亀甲積みも佐賀城など一部の城で見られますがグスクほど多くありません。

これは石のちがいによるものです。
沖縄の石垣には矢穴がありませんが、これは琉球石灰岩が柔らかく加工しやすいためです。
(石積みには薄く割れやすいチャートがよく使われています)

blog.kojodan.jp

ほかにもいろんな展示がありました

じつはここまででまだ第1章と第2章しか紹介できていません。
第3章以降の展示もすごくよかったのですが、同じペースで書いちゃうと終わりそうにないのでポイントだけピックアップしますね。

そういえば按司たちはどんな格好で戦っていたのか

ぼく自身、グスクそのものは首里城以外にも今帰仁城や中城城を訪問したことがあるし、団員のみなさんがアップしてくれたたくさんの写真を見てきました。
なのでグスクの現状についてはそれなりにわかっていたつもりですが、よく考えたら三山時代に按司たちが争っていた頃、どんな格好で戦っていたのかについては考えたこともありませんでした。知ってます?

じつは発掘された遺物から、当時の琉球では室町時代に本土で使われていた甲冑を着ていたことがわかっています。
(ただし地域性を示す特徴がないので、本土のどのあたりのものかは不明とのこと)

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数はかぎられているので、おそらく指揮官のみがこうした甲冑を身につけながら戦っただろうと山本さんはおっしゃっていました。

また琉球は日本本土だけじゃなく、中国とも交易していたので、火矢(ひゃー)と呼ばれる鉄砲のようなものを武器として使っていました。本土の場合、鉄砲はヨーロッパ経由で「火縄銃」として伝わりましたが、琉球では中国から直で伝わったので形状がまったくちがうんですね。

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今帰仁城の戦いをVRで観戦できる!

このコーナーにはVRゴーグルが数台置いてあって、中山の軍勢が北山軍の今帰仁城を攻めた様子をVR(Virtual Reality:仮想現実)で見ることができます。
これがよくできていておもしろかったです。ちゃんと室町っぽい甲冑着てましたしね。

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グスクの歴史において、城郭として使われた期間はごくわずかですが、各地のグスクで攻防があったことは事実ですし、それは本土の戦国時代となにも変わらないんですよね。
まさに「琉球戦国時代」と呼ぶにふさわしい時代があったことはちゃんと知っておくべきだなとあらためて思いました。

発掘調査でわかること

グスクの発掘調査では貴重な磁器が見つかったり、エリアによって出土物に差があるなど(権力者の居住エリアには花瓶など装飾具が、集落には皿や瓶など生活品が)、いろんなものが見つかっては当時の様子が見えてくるというのも本土のお城と同じですね。

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本土において瓦葺き建造物が普及していくのは信長の頃からですが、琉球で瓦が使われた建物があったグスクは首里城のほかは勝連城と浦添城くらいしかなかったようです。
そのうち首里城や浦添城では高麗系瓦が使われているのですが、勝連城だけはなぜか大和系瓦が使われていて独自の文化があった可能性も指摘されています。
こういう話を聞くと、グスクをひとくくりに見ちゃうのはもったいなくて、さまざまな特徴があることがよくわかりますね。

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勾玉についてもおもしろい話を伺いました。
本土では弥生時代に普及した勾玉がなぜか琉球では14世紀に突如として広まったそうです。江戸時代に「なんか琉球では勾玉がブームになってるみたいだぞ」と話題になったらしく、ちょっとおもしろいですね。
いまでも一部の地域では収穫を祝う神事などでは勾玉が使われており、君南風(ちんべー)と呼ばれる神女が身につけるそうです。会場には久米島でいまも使われている最大級の勾玉が展示されていました。

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首里城正殿の木造復元模型もすごい

この巨大な首里城正殿の木造復元模型は、今回焼失してしまった本物の正殿の復元に携わった方によるもので、柱や階段といった内部構造も正確に再現されています。

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地元の方の中にはずっと立ち止まって眺めてる方や涙を流される方もいらっしゃるそうです。
ぼくは熊本地震後にもすぐ熊本を訪問しましたが、地元のお城というものの存在感の大きさを感じますね。同時にそういうお城があるということをちょっとうらやましく思ったりもしました。
(いまのぼくは京都市民なので二条城が被災すれば同じような気持ちになるんですけど、実家の周辺には城址しかないのでこの感覚は得がたいものです)

ほんとうに精巧につくられていて、今回の火災で残った正面の2体の龍柱もありますし、唐破風の上にある龍に胴体がついていて背びれまであることをはじめて知りました。

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首里城正殿は黒かったかもしれない?

もうひとつだけ紹介しておきましょう。
後半には「琉球国図」や「首里那覇港図屏風」など琉球や首里城を描いた絵図も展示されています。

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これらの絵図にある首里城正殿はぼくらが見慣れた赤(朱)ではなく、黒く描かれているんです(唐破風と壁面の一部だけが赤い)。
しかも正殿だけじゃなく焼失をまぬがれた奉神門や広福門なども黒壁に描かれているので、もしかすると当時は黒かったのかもしれないとおっしゃっていました。

瓦の色については当初は黒(灰色)の瓦だったものが、江戸時代あたりから(人口増加にともない瓦を焼くのに必要な薪が不足したこともあり)赤瓦になったとネットの記事で読んだことがありますが、壁面の色まで黒かった可能性があるとは初耳でした。
今回の復元までになにかがわかることはないと思うんですけど、今後の調査結果を追いかけたいですね。

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まとめ

本土で暮らす人って琉球の歴史についてちゃんと時間をかけて学ぶ機会もないし、いくら城好きとはいってもせいぜい首里城や今帰仁城、中城城といった世界遺産のグスクくらいしか知識がない人も多いと思います(ぼくがまさにそうだったのですが)。
しかし今回、主任学芸員の山本さんにマンツーマンで案内していただいて「グスクはめちゃくちゃおもしろいぞ」とあらためて実感しました。

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帰宅後のメールでお礼とあわせて「グスクは謎が多いと本では読んでたのですが、今回説明を伺ってみて、たとえば稲作がはじまり、ムラ同士の争いが起こり、吉野ケ里のような環濠集落が生まれたという本土のお城の歴史と共通する点がかなりあるなと感じました。」と感想をお伝えしたら、山本さんから「弥生時代の倭国大乱と共通点があることに対しては鋭いご指摘であると思います。琉球列島の場合は日本の古代から中世まで一気に駆け抜けた時代がグスク時代になるかと思います。その点では古代日本と比べても激動の時間幅が短いように思われます。」と返信をいただきました。

「城(しろ/グスク)」というものが食料争いといった人間の根源的な欲望をきっかけに生まれたという共通点を見いだせたのはちゃんとこれまでに勉強してきたことが活かされてるなと思えたし、鋭い指摘とほめられたこともうれしかったです。
そして山本さんがおっしゃるとおり、本土と比べて城郭の誕生から国内統一されるまでの期間が圧倒的に早いのですが、これは面積の差のせいでしょうね。

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台場とか倉庫とか、グスクにもいろんな用途があったことや、当時の合戦では中世の和式甲冑を身につけていたというのもあらたな知識でした。
火矢(ひゃー)のような中国産の武器も使用する一方で、日本刀を振り回していたとか、尚巴志による三山統一の印象がずいぶん変わりましたね。

また展示においても全体の構成はもちろん、ジオラマ模型やタブレット端末、VRゴーグルを用意したりと、たんにイメージを強化するだけでなく現地に行きたくなるような仕掛けがたくさんありました。
ぼく自身、今回の展示で学んだたくさんのグスクに足を運んでみたいと思いました。じっさい年明けには勝連城や浦添城などを訪問するのですが、いまからとても楽しみです。

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この「グスク展」は1月19日(日)までとなっていますが、この期間中に沖縄を訪問される方にはぜひ立ち寄っていただきたいですし、沖縄県民の方にとっても知的好奇心が満たされる企画展だと思います。
もし訪問されたら感想を聞かせてくださいね。

news.kojodan.jp

冒頭に記載のとおり、この取材時は無料で入館させていただきましたが、もう一度展示を見返したいと思って、後日あらためて自腹で見学したことも付記しておきます。そのくらい満足した企画展でした。

おみやげプレゼント!

長文レポートを最後まで読んでいただきありがとうございます!

取材時は休館日だったのでミュージアムショップも閉まっていたのですが、後日再訪した際に購入した図録とDVDをそれぞれ1名の方にプレゼントしますね。

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ぼくも自分用に買ったのですが、どちらも大満足です。

プレゼントの応募受付は終了しました。ご応募いただいたみなさんありがとうございました!
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