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「氏」と「家」のちがい、武家の広がりについての基礎知識

みなさんは「織田氏」と「織田家」のちがいをきちんと説明できますか?
ぼく自身なんとなく「氏」というのは大きなくくりで、「家」はもっと小さな単位であるということは理解していましたが、誰かに説明できるほどはわかっていませんでした。そもそも攻城団のサイト内でも「氏」と「家」は混在していて、とても正確に使用できているとはいえません。
そこでどういう経緯で、このふたつの言葉(くくり)が生まれたのかを学んでみました。

すごくざっくりまとめると

まずおおまかに整理すると、こんな感じです。

  • 平安時代までは「通い婚(妻問婚=男から女への通い婚)」だったので「家族」の概念がなかった
  • なので源氏や平氏など「氏族」という枠組みのみ存在していた(いわゆる「源平藤橘(げんぺいとうきつ)」で、のちに豊臣が加わる)
  • 平安時代に武士が生まれて以降、共同体としての「家族=家」の概念が生まれていく
  • 氏族が細分化され、家族ごとの単位で行動するようになる(源氏→武田家・足利家・新田家……)
  • その家族の規模が大きくなると、さらに細分化されていく(武田家→若狭武田家・甲斐武田家……)
  • もとの家族が氏族化していく(武田家→武田氏)

組織図でいうと、最小単位が「家」で、「家」を束ねれば「氏」、それ以上は仮に複数の「氏」を束ねても「氏」になるということです。

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まさか通い婚の話からはじまるとは思ってませんでしたが、「家族」という概念や集団が生まれていくのは、武士の誕生とシンクロしているというのはおもしろいです。
少し詳しく書くともともと貴族(公家社会)では「婿取婚(むことりこん)」という妻の家に夫が同居する形式が生まれていったものの、武士は土地を離れることができなかったために逆に妻が夫の家に同居する「嫁取婚(よめとりこん)」が武家社会では主流とならざるを得なかったそうです。

この土地とセットになっているというのもポイントで、武士は自分が与えられ、開発した土地を自分の子らに分与し、子どもたちは与えられた土地の名を名乗るとともにあらたに家を立ち上げました。たとえば下野国足利荘を領地としたから足利氏を名乗ったように、武家の家名(苗字=名字)の多くは本貫地の地名に由来しています。
もともとは足利「家」を名乗っていたのが、吉良氏や斯波氏、細川氏などの分家が生まれていくと氏族化して足利「氏」となります。下の階層ができると「氏」に格上げされるわけですね。

こう考えると「氏」と「家」はタイミングによってはどちらも存在していたわけで、必ずしもまちがいではありません。逆にいうとどちらで記述するかで、その時期がある程度限定されるともいえます。

もうちょっと補足

もう少し整理すると、血縁者の集団を「氏族」、そのうち日常的に生活・行動をともにする集団を「家族」と区別することができます。
「源平合戦」が【平家】と【源氏】の戦いといわれるのもこのあたりに起因していて、つまりあくまでも平「家」であって、平「氏」ではないのは平氏が分裂して、平家(=平清盛の家族)が孤立して攻められる対象となったからです。じっさい北条家も三浦家も平氏の一族ですが、すでに苗字を使用しており、反平家連合軍として源氏に味方しています。

余談ですが、「源家」を聞くことがないのは「保元・平治の乱」で源氏が敗れたために一族が離散し、平家のような大きな集団(家族共同体)が生まれなかったからです。もし源頼朝が兄弟や叔父を討伐せず、一族としてまとまることができれば源家と呼ばれていたでしょう。

「家」と「氏」の具体例を織田信長で説明します。
信長は「織田弾正忠家」で、清洲三奉行をつとめたほかの2家(織田因幡守家、織田藤左衛門家)と同列です。その一つ上が「清洲織田氏(織田大和守家)」で、さらにそれを束ねた「織田氏」があって、さらに「桓武平氏」があって、最上位(本性)に「平氏」があります。
(織田氏は藤原氏系の話もあるけどもややこしくなるのでここでは割愛)

このように鎌倉時代、室町時代と武家社会が定着する過程で、分家・独立によって武家はどんどん細分化していきます。
そして枝分かれしていった武家のうち、ある家は戦国大名化し、またある家はその家臣となって乱世を生き抜くことになる(あるいは滅亡したり帰農したりする)わけですが、「関ヶ原の戦い」をこえて大名として生き残ることができたのが江戸時代の大名家です。
ちなみに江戸時代にも分家は生まれています。徳川将軍家における御三家を真似て、宗家が断絶しないように嫡男を宗家の世継ぎにしつつ、弟を分家として独立させ支藩を設立しています。

攻城団では今後、江戸時代の大名家や500以上あったとされる藩のデータベース化を進めていく予定です。
その初手として、来週から榎本秋先生の著書「外様大名40家」の再編集版をこのブログに掲載していきますので楽しみにしていてくださいね。

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