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二条城で開催された二の丸御殿「黒書院三の間」学芸員解説会に参加してきました

今日は朝から二条城で開催された「黒書院三の間」学芸員解説会に参加してきました。
今月15日から特別入室がはじまっており、部屋のほうは初日に見学してきたのですが、そもそも黒書院は(しかもその三の間は)どのように使われていたのか、また室内に描かれた障壁画の題材や意味について教わってきたので、スライドとメモを共有させていただきます。

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冒頭、元離宮二条城事務所の北村所長から挨拶がありました。
コロナで6週間休城することになったこと、例年だと平日5千人、週末1万人ほどの来城者が再開後は平日100〜200人、週末1000人と激減していることを話されていました。
さらにこの学芸員解説会は毎回とても人気なのですが、コロナ対策のため人数を半分(35人)にして、これまではおこなっていた二の丸御殿内での現地解説は取りやめにせざるをえないとおっしゃっていました。

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もともと二条城は中国人を中心としたインバウンドの観光客と修学旅行生が大半を占めていたので、いまの閑散ぶりは観光客を優先してきた反動だという厳しい声もあるのですが、二条城ではここ数年こうした市民向けの解説会を開催してきたことも事実で、それはちゃんと評価すべきだと思います。
特別入室と解説会は学芸員からの発案だと以前おっしゃっていましたが、今後も継続していただきたいですね。

二条城の歴史について

今日の担当は中野学芸員です。

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はじめて二条城に来られた方もいらっしゃったので、最初は二条城の歴史や概要についての紹介です。

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二条城の歴史という意味ではもちろん現代までつづいているのですが、こうした二の丸御殿の障壁画を案内する場合は寛永行幸までのみの話にとどめることが多いです。
(逆にいうと、こうして江戸時代初期の建物と絵画が残っているというのがいかにすごいかということですね)

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後水尾天皇の行幸を迎えるにあたり、徳川家は幕府の威信をかけて二条城の大改修工事をおこないます。城も約二倍に拡張し、御殿と天守を新築し(完全な新築は本丸御殿や行幸御殿ですが、二の丸御殿もほぼ新築と言えるほどの改修だったようです)、室内にはすべて狩野派による障壁画が描かれました。

残念ながら現在残っている建物は二の丸御殿のみです。
行幸御殿が移築された仙洞御所は先日、京都新城跡の痕跡が見つかったところですね。

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黒書院三の間とはどんな部屋なのか

いよいよ本題です。今回、特別入室が実施されている黒書院三の間についての説明に入ります。

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二の丸御殿に入ったことのある方であればこの平面図でなんとなくわかると思いますが、入口から入ってすぐの虎の絵が描いてあるのが遠侍、大政奉還の様子を再現した人形のある部屋が大広間、その先にある赤く囲ってある建物が黒書院です。

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黒書院は一の間、二の間、三の間、四の間とぜんぶで四部屋あります。ただし右側の「牡丹の間」も当時は畳敷きで部屋扱いになっていたようです。
このうち一の間と二の間で謁見がおこなわれるのですが、三の間は将軍に拝謁する者が控えている場所として使われました。

なお黒書院はとなりの大広間に対して江戸時代は「小広間」と呼ばれていました。
同様にさらに奥にある白書院も「御座の間」と呼ばれていたのですが、いつどのように黒書院、白書院と呼ぶようになったのかはわからないそうです。

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各部屋の使い方は大広間と同様です。
大広間の場合は中心部分に部屋(じっさいには将軍専用通路)があったり、ちょっと構造が異なりますが、三の間で控えて、お許しが出たら二の間に進んで対面する、という段取りは共通しています。

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黒書院が使われた記録によれば、寛永行幸の際は門跡(もんぜき)たちが饗宴の場として使用したそうです。門跡とは皇族・公家が住職をつとめたお寺のことで、この場合は招待された住職のことを指します。

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また1632年(寛永9年)に秀忠が亡くなると、1634年(寛永11年)に家光が30万人を引き連れて上洛するのですが、このとき二条城を使用しています。

家光は二条城で多くの者と対面しているのですが、黒書院と大広間で相手が異なっているというデータがあります。これまでも外様大名は大広間、譜代や親藩(家門)は黒書院で対面するという説明でしたが、データを見ると黒書院は公家――それも身分の高い公家――と対面する用途としてむしろより使われていたようです。

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黒書院三の間に描かれた障壁画について

つづいて障壁画についての解説です。
公家と応対するためにつくられた黒書院はほかの部屋の障壁画と比べてどのような特徴があるのでしょうか。

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まず、黒書院の障壁画は長押の上下で場面が変わっている(別の絵が描いてある)のが特徴です。
下の写真は北面と西面を写したものですが、北面(画面右)を見ると、下の絵は長押までで、長押の上には浜辺の松を題材にした別の絵が描いてあります。
(西面は二の間につづく面なので長押の上には欄間があります)

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描かれた題材である「松」は二の丸御殿全体で使われているモチーフで、「永続と繁栄」を意味しています。

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以下は大広間と式台の写真ですが、いずれも長押をぶち抜いた大きな松が描かれています。

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写真で見比べるとわかると思いますが、大広間と式台は長押を無視して、上下を共通のキャンバスとして描いていますが、黒書院は上は上、下は下と独立しています。
この長押を無視して巨大なキャンバスとして見立てるというのも二の丸御殿障壁画を担当し、当時の狩野派のリーダーであった狩野探幽のアイデアですが、黒書院については迫力ある絵で相手を圧倒するのではなく、複数の場面を描くことを優先したようです。
(威圧より歓迎を示したのではないかとおっしゃっていました)

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季節の移ろいが描かれている

また季節が描かれているのも黒書院の障壁画の特徴です。
具体的なポイントを教えていただきました。

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まず東面の左下には夏から初秋にかけて咲くミズアオイが描かれています。

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次は南面の左下。

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ここには秋に咲くリンドウが描いてあります。

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そして西面の中央下あたり。

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ここには冬に咲くスイセンと寒菊が描いてあります。

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また北面の右側には稲刈りが終わった田んぼが描いてありますね。

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また松に雪が積もっているなど、冬の表現も確認できます。

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このように部屋をぐるっと見回すことで、夏から冬にかけての表現を目にすることができるわけです。

じゃあ春は? となるとそれは一の間と二の間に描いてあります。「桜花雉子図(おうかきじず)」と呼ばれるこの絵には大きな桜が描いてあるのですぐにわかります。
控えの間である三の間で夏から冬にかけての景色を眺め、将軍と対面するために通された二の間で春を描いた絵を見ることで晴れやかな気持ちにさせる仕掛けがあったと考えられます。

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黒書院の障壁画には季節が描かれていることは知っていて、ただし二条城の説明だったか、ほかの先生の本だったかで「一の間と二の間が春、三の間が冬、四の間が秋、牡丹の間が夏」と教わって、これまでガイドツアー等で話していたのですが、それは訂正しないといけませんね。
たしかに描かれた題材を見ていけば三の間だけで夏から冬が表現されています。
(だとしたら四の間や牡丹の間を含めた黒書院全体でのメッセージはあるのか、ないのか)

なおこうした季節の移ろいを描くのは和歌の世界に通じるもので、公家に対して徳川家はこうした教養を備えていることを暗に示しているのではないかということです。

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この「浜松図」がどこの浜辺を描いたものかはわからないのですが、名所図として描かれてきた画題には田子の浦、明石浦、天橋立などがあるとのこと。
こうした名所も和歌で読まれる対象であり、「松図」の季節の移ろいの表現とあわせて、和歌の世界観ということです。わかる人にはわかる、という空間をつくったわけですね。

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担当した筆者は狩野尚信

この黒書院全体を任されたのが当時20歳だった狩野尚信で、彼は探幽の弟として才能を発揮しました。
じっさいにはこうした障壁画はひとりで描くわけじゃないので、何をどのように描くかをリーダーである探幽と決めて、スタッフに指示する役割でした。おそらく重要な部分は自ら筆を取ったと思われます。

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ちなみに尚信が20歳で黒書院を担当したことは知ってましたが、そののちに狩野甚之丞(じんのじょう)の娘と結婚していたことは知りませんでした。

以下は以前ぼくが講師をつとめた「めっちゃよくわかる二条城」で使用した狩野派の家系図です。尚信から見るとひいおじいちゃんの孫の娘を嫁にしたということになります。

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三の間の部屋全体の構成について

こちらは当日配布された資料(黒書院の展開図)です。

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ちなみに通常は南側の廊下から覗き込む形になるので、とくに南面と東面はふだんぜったいに見ることのできない面となります。特別入室で見学される際はしっかり見ておきましょう。

黒書院の障壁画を全体で俯瞰してみたときに、大広間との類似点があります。
それが集中と空白です。いずれも部屋の対角である北東隅と南西隅にスペースがつくられています。逆の対角にはモチーフを集中させていて、大広間と共通しています。

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大広間三の間を描いたのが兄である探幽なので「三の間の構成はこうしよう」という指示があったのではないかということでした。

黒書院三の間(キャプチャでは「西面」となっているけど正しくは「北面」)の松ですが、この自然界には存在していない、いびつな形状の松と似ている松の絵が大広間にも描かれています。

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天井画と釘隠しも忘れずに

特別入室の特典は天井画がしっかり見れることです。
障壁画は複製ですが、天井画は江戸時代に描かれたオリジナルがそのまま残っています。

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アップするとこんなデザインです。

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対面の相手が進むことになる二の間の天井画とデザインが似ています。

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でもじっくり見てみると地文様が少し格式高い感じに仕上がっています。
(「稲妻」と指定してあるとか)

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釘隠しはふだんから見れますが、牡丹の花を熨斗で巻いた「花熨斗形」と呼ばれるものです。

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牡丹の花は「百華の王」「富貴の象徴」とされ、「桐に鳳凰」はよくセットで描かれるモチーフで、徳川家の安泰をメッセージとして絵に込めています。

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大広間の釘隠しもコンセプトは同じです。

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ただし大広間の釘隠しが基本的にすべて同じデザインになっているのに対して、黒書院の釘隠しはちょっとずつちがうんだそうです。これは気づいてなかった。

たとえば熨斗が重なっている部分、鳳凰の向きなど、ひとつとして同じデザインがないそうなので、見学される際はぜひ釘隠しも注目してください。
(つくりが丁寧というか、お金がかかっているとおっしゃっていました)

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以上、約40分の解説会でした。

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もう一回だけ解説会に参加するチャンスがあります

なおこの学芸員解説会はもう一回、8月5日(水)に開催されます。
解説会自体は10時開始なのですが、整理券方式となっており、当日の開城時間である朝8時から城内の事務所で整理券が配布されます。今日は8時ちょうどに入城したのですが、20人弱は並んでいたので参加を希望される方は早めに整理券をもらいにいったほうがいいかもしれません。

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(この整理券はレクチャールーム入室時に回収されたのだけど、日付入りだしウイルス付着のリスクもあるんだから回収しないほうが安全なんじゃないかと思った)

ぼくは年間パスポートを持っているので整理券をもらったあと城外のコメダコーヒーで休憩していましたが、年間パスポートや一口城主証をお持ちでない方は案内所で再入城できるのか相談してみてください。

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kojodan.jp

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