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【江戸時代のお家騒動】江戸幕府=徳川家内の激烈な生き残り闘争

江戸時代初期の政争が生んだお家騒動

最初に紹介するのは、江戸時代初期に起きた三つの事件だ。「大久保長安事件」「里見騒動」「宇都宮釣り天井事件」である。
それぞれ「代官として活躍した大久保長安の謀反計画にまつわる疑惑と処罰」「そのとばっちりを受けた外様大名・里見家の取り潰し」「父の代から辣腕を振るった名政治家・本多正純の失脚」というのがその概要である。

つまり、中央政権の政争(とその波及)という色合いが濃く、これだけ見るとお家騒動とは何の関係もないように思える。
これらの事件はすべて、主役を演じた大名たち個人の問題ではなく、幕府政治の主導権争いと密接にかかわっていた点が共通している。すなわち、江戸幕府=徳川家のお家騒動の結果、争いに敗れたりとばっちりを受けたりした大名が失脚させられた、といえるのだ。

この視点に立つと、一連の事件は非常に大きなスケールで展開したお家騒動であることがよくわかるだろう。以後本連載で紹介するほとんどのお家騒動が、どれだけ大きな藩が舞台であっても所詮は地方政権内部の争いであるのに対し、こちらは自然と全国規模になるのだから当たり前だ。

身につまされる教訓① 目立ちすぎは災いのもと

幕府財政を一手に取り仕切った大久保長安や、将軍側近として絶大な権力を獲得した大久保忠隣・本多正純。彼らの築き上げた勢力が、派閥間パワーバランスの力学の前にもろくも崩れていく――なんとも諸行無常な光景である。
大久保長安がその財力をバックにした傲慢を非難され、本多正純が父の「大大名になるな」という言葉を無視し、結果として目立ちすぎたがゆえに滅んだのだと考えると、やはり組織は構成員の誰かが立場・発言力で突出すると荒れるのだ、と思わざるを得ない。スケールに大小の差はあれ、会社や部署、グループという「組織」に所属した経験のある皆さんなら、このことに賛同してくれるのではないか。

ちなみに、この「力の強すぎる家臣が居たためにお家騒動が発生」という構図はこの後も本連載で頻出するので、注目してほしい。はっきりいえば「よくあるパターン」なのだ。
また、ただ権力闘争で敗れた者が叩き潰されるのではなく、石川康長(元は徳川家の重臣でありながら、豊臣家へ寝返った石川数正の子)や里見忠義(徳川家の本拠となった関東に古くから基盤を持つ大名)といった、幕府側からすると邪魔な存在が一緒に潰されているあたりは面白い点だ。
そこには「派閥争いはするけれど、それで幕府そのものが傾いても困るので、ついでに邪魔な連中を片付けてやろう」という幕閣の重鎮たちの意図が感じ取れる。この確かな政治センスは、江戸幕府が約250年にわたって存続した一因であるといえるだろう。

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