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【江戸時代のお家騒動】④災い転じて大名権力を強化する

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江戸初期、主君は強すぎる家臣を排除し始めた

③の「主家異動パターン」が織豊時代という過渡期特有のものであったとするならば、④⑤は「大名権力強化パターン」というべきもので、江戸時代初期という時代に特に多く見られたケースとして特筆すべきものである。

動乱の時代には勢力が生き残るために「有力な家臣」が必要だった。大名の弟や叔父・甥などの一族、あるいはその能力を見込まれて縁戚関係を結んだ家臣などが内政や他勢力との戦いで大いに力を発揮し、最悪主君が急死してもその勢力を存続させるよう奮闘することを期待されたのである。
だが、泰平の江戸時代には彼らのような存在は不要であり、むしろ邪魔にさえなった。この時期に必要なのは「大名に絶対服従し、その手足になって働く家臣」であって、「時には主君の意図を無視して自由に動く家臣」はどれだけ有能であっても――むしろ有能であれば有能であるほど、邪魔になったのである。

結果、江戸時代初期には「強すぎる家臣を排除しようとする主君」と「排除されないためにもさらなる力を発揮しようとする有力家臣」の対立が多く見られるようになった。また、とくに内部対立の激しい藩では、江戸時代後期になってもなおこの種の対立が続いており、主君と家臣、あるいは家臣同士の政治抗争が見られる。
まず④では、大名が権力強化を目指したケースのうち、大きなお家騒動にはつながらなかったケース――有力家臣が排除されたケース――を紹介する。

身につまされる教訓④ 有能すぎる家臣は要注意!

「大名権力強化パターン」はお家騒動が勃発する事情においてはかなり似ている例が多い。力の強い家臣や一門衆がいたり、藩主の後継者問題が勃発したりして、そこから騒動に発展するわけだ。
しかし「どうして解決したのか」になると実に千差万別である。藩主が有能だったケースもあれば、事件の中心になる家臣が死んでしまって収束したケースもあり、また何か異常なトラブルから事態が一気に解決へ向かったケースもある。
この豊かなバラエティは、「藩」と一括りにしても実際には各藩で複雑な事情や状況があったことの証左であり、お家騒動という事件を追いかけることの面白さでもあるのだ。

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