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【お城の基礎講座】79. 江戸時代の築城

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元和元年(1615年)に武家諸法度(ぶけしょはっと)が出され、新しい城を築くことが禁止されました。
そのため大名は城を新しく築くことも出来ませんでしたし、修理するのにも幕府の許可が必要でした。
しかし意外にも江戸時代にも多くの城が作られているのです。
今回は江戸時代に作られた城について見ていきたいと思います。

幕府の政略による築城

武家諸法度(ぶけしょはっと)を発布して、新たに城を築くことを禁止しましたが、幕府の政略による築城がいくつかされています。
元和3年(1617年)に明石城(あかしじょう)が、元和6年(1620年)には福山城(ふくやまじょう)が築城されました。
これら二つのお城は西国の外様大名への備えとして築かれたものです。
これらは幕府主導で築城されました。

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明石城の坤櫓(左)と巽櫓(右)。現存する三重櫓も貴重だ

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天下普請(てんかぶしん)

幕府が命じて作らせる天下普請(てんかぶしん)も引き続き行われています。
大坂の陣で焼け落ちてしまった大坂城の再建工事や、二条城の拡張工事、江戸城の増築工事などです。

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現在の大阪城の堀や縄張は江戸時代になってから徳川幕府によってつくられたものだ

外様大名(とざまだいみょう)による築城

今までのものは外様大名への備えのための幕府としての築城でした。
しかし一方で、外様大名による築城もいくつかあったようです。
例えば、丹羽長重が寛永4年(1627年)から白河小峰城(しらかわこみねじょう)を建てました。
また慶安元年(1648年)には浅野長政が赤穂城を着工しています。

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丹羽長重によって建てられた白河小峰城

 

天守の建造は少ない

太平の世になり天守の建造は激減しました。
例えば、江戸城の天守は三代将軍家光の頃に焼失してしまいましたが、それ以降再建されませんでした。
大阪城や二条城でも天守が焼失した後は再び建てることはありませんでした。
他の大名の居城であっても天守が焼失してしまった時には再建しなかったということが多かったようです。
財政的な問題もあったと思われますが、シンボルとしての天守はもう必要なかったのかもしれません。

現存天守の例

現存している十二天守のうち、江戸時代に新築または再建された天守がいくつかあります。

例えば、
宇和島城(うわじまじょう)は寛文五年(1665年)に天守が再建されました。
丸亀城(まるがめじょう)の天守は万治元年(1658年)に新築されています。
備中松山城(びっちゅうまつやまじょう)の天守も天和3年(1683年)に再建されています。
さらに高知城(こうちじょう)の天守は延享4年(1747年)に再建されています。

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宇和島城天守は寛文五年(1665年)に再建

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丸亀城天守は万治元年(1658年)に新築

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備中松山城の天守は天和3年(1683年)に再建

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高知城天守は延享4年(1747年)に再建

まとめ

武家諸法度によって新たな築城が禁止され、城の改修にも届出が必要とされましたが、江戸幕府の政略によっていくつもの城が新たに作られたり、天守が再建されたりということがありました。
そのおかげではないですが、現存している天守もいくつかあります。
こういったことを頭に入れつつお城巡りをするとより深く楽しめることでしょう。
じゃあね🖐️

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