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【江戸時代のお家騒動】⑨保守派と改革派の路線対立

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既得権益を奪われることの恐怖からお家騒動へ発展

江戸時代も中期から後期に入ると、お家騒動の形も変わっていく。
藩政改革をめぐる対立というケースが頻出することになるのだ。

この時代、多くの藩が「制度の硬直化」と「財政の悪化」という問題に直面し、何らかの形で改革を行う必要に迫られた。
そんな中、英明と名高い藩主はしばしば低い身分の中から優れた人材を抜櫂し、彼をバックアップすることによって藩政改革を実現しようとしたのである。

硬直化した身分体制を打破し、新しい風を吹き込むという点ではこの試みは非常に効果的だったのだが、別の問題もあった。つまり、長く政治権力を独占してきた保守的な門閥譜代の家臣団にとっては「低い身分のものが自分たちと同格やそれ以上になることの嫌悪」および「既得権益を奪われることへの恐怖」が改革の必要性より先立つものとなり、結果として保守派と革新派の派閥対立が巻き起こることとなったのである。

改革がうまくいったケースでは藩主の威光がうまい方向に作用したり、あるいは革新派がうまく立ち回ってこれらの対立を回避できた。しかし、対立が決定的に破局へつながれば、お家騒動になってしまうケースもあったのである。
この⑨では比較的うまくいったケースとうまくいかなかったケース、その双方を紹介することとしたい。

身につまされる教訓⑨ 時代の過渡期にお家騒動が多発する

時代が安定していようとそうでなかろうと、それぞれの理由でお家騒動は起きた――というのは、ここまで見てきたとおり。
しかし、やはりお家騒動が起きやすくなるのは、情勢が不安定になり、時代が移り始めた時期のことなのである。過渡期になり、組織改革が必要になるからこそ「以前と同じ事を繰り返していればいい」という状況ではなくなって、お家騒動の火種も生まれやすくなるのだ。

その意味で、江戸時代後期から幕末にかけての時期に多くのお家騒動が勃発したのは理の当然というものである。
この時代、経済構造は米中心から貨幣経済へとシフトし、米を基本とする幕府や諸藩の財政は確実に悪化していった。天変地異も多く起こり、飢饉が度々庶民を苦しめ、藩の収入をも痛めつける。

このような状況に対応すべくフレキシブルなら改革を行おうものにも、膠着した組織では有能な人材を発掘するのが難しく、どうにか新たな人材を見つけ出しても、門閥譜代からの強烈な反発に合う――そして、お家騒動が起きる、というわけだ。
多くの場合、争いは明確な理由のもとに起こるのである。

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