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【歴代征夷大将軍総覧】鎌倉幕府6代・宗尊親王――「天皇の血を引く」将軍 1242年~1274年

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最初の親王将軍

宗尊親王(むねたかしんのう)は「親王」という名のとおり皇族の出身で、後嵯峨天皇の第1皇子である。
普通に考えれば天皇になるはずの人物だ。にもかかわらず、父の皇位を継承したのは第2皇子の後深草天皇で、その後を継いだのは第5皇子の亀山天皇だった。原因は、彼は父が天皇に即位する前に生まれた子であり、中宮の子ではなかったからだろう。後から生まれた弟たちばかりが即位するこの状況を見る限り、彼に即位の可能性はなかったようだ。

一方、鎌倉幕府を主導する北条得宗家は以前から「親王を将軍として迎えたい」と考えていた。断絶してしまった源氏の血に代わる神輿として、神の末裔と信じられ、古くより日本を統治してきた天皇の血を超えるものは考えられない。藤原頼経・頼嗣も藤原摂家という高貴の血を引いてはいたものの、親王将軍の成立をもくろむ北条氏にとっては所詮つなぎの将軍に過ぎなかった。

かつて後鳥羽上皇の時代には話が半ばまで進みながら拒否されてしまったわけだが、当時とは朝幕関係もまったく変わっていた。
朝廷は六波羅探題によって厳しく監視され、軍事力を持つことは許されず、所領は一度没収された後改めて与えられたものだった。後嵯峨上皇自体が、天皇への即位にあたっては幕府の思惑が強く絡んでいる――天皇を誰にするかという問題にさえ、幕府にいちいち許可を得るような有様だったのだ。

このような背景もありつつ、以前から親王将軍を迎えたかった幕府と、息子・宗尊親王の落ち着き先が必要だった時の後嵯峨上皇、両者の利害が一致する形で1252年(建長4年)、鎌倉幕府6代目の将軍が誕生したのである。彼に押し出される形で先代将軍の頼嗣が京へ追いやられたのは、すでに紹介したとおり。

このことは北条得宗家にとって記念すべき出来事であり、宗尊親王が鎌倉に入るにあたっては、非常に賑々しいパレードが行われたと伝わる。
また、最初の将軍である頼朝の大倉御所、摂家将軍の始まりである頼経の若宮大路御所に続いて、宗尊親王のために新たな若宮大路御所が築かれたのも、時代の移り変わりを感じさせる、いや得宗家が意図して変化を印象付けようとした結果のように思われる。

和歌と学問に生きがいを求める

当然のことながら、宗尊親王にも幕政の実権は与えられていない。これまでの摂家将軍と同じく、彼もまた北条得宗家の傀儡、権威付けのための将軍に過ぎなかった。
そのため、記録に残っている彼の将軍としての業績は、鶴岡八幡宮への参詣など儀礼的なものばかりである。

そんな宗尊親王が生きがいを見出したのは和歌であり、また学問であったようだ。このあたりは三代将軍・源実朝に似ている。
特に和歌については『瓊玉和歌集(けいぎょくわかしゅう)』をはじめとして多くの歌集を残し、『続古今和歌集』にも彼の歌が収録された。たびたび歌会を開いていた、という記録も残っている。

25歳になった1266年(文永3年)、宗尊親王は御所から出されて別の屋敷に移された後、ついに京へ帰されてしまった。
京に戻された彼は当初、父である上皇に再会することもできなかった――上皇が幕府に敵視されることを恐れたからだ。
その後、幕府からの働きかけがあって親子の再会はかなったものの、当時の朝幕関係がどんなものであったかをしのばせる出来事といえよう。

追放の理由については「何らかの形で謀反を企んだからだ」というが、これまでの将軍のように何らかの事件や粛清が起きたということもなく、実際にはまったく造反の動きはなかったようだ。幕府としては単純に「ただのお飾りであっても成長した以上は何があってもおかしくない」と判断したのだろう。
また、執権・時頼の後継者として本来は息子の時宗が立つべきだったのだが、このとき弱冠16歳だったので、「幼い執権が年上の将軍の代行をする図式は威厳に欠ける」という事情があり、そのために将軍を交代させる必要があったのでは、という見方もある。実際、一時的に別の人物が執権を務めたのち、将軍が交代して2年後に時宗がその地位についているため、なかなか説得力がある。

若くして京に戻った後は、静かに暮らしていたようだ。『増鏡(ますかがみ)』は「いとしめやかに」と表現している。
このころの彼の心境を物語るであろう、こんな歌が残されている。
「虎とのみ用ゐられしは昔にて 今は鼠のあな憂世の中」――将軍であったころ、自分は虎として使われていたけれど、今は鼠だ。張子の虎であっても、鼠の今よりはましだ、という気持ちだろうか。
幕府に、いや北条得宗家にいいように使われた後、33歳で亡くなるまで、彼はどんな気持ちを持ち続けながら生きたのだろうか。今となっては、推測するしかない。

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