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【歴代征夷大将軍総覧】足利将軍――室町時代

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波乱続きの室町時代

後醍醐天皇の下で鎌倉幕府打倒に大きな役割を果たした足利尊氏は、やがて後醍醐天皇とも決別して新たな天皇を擁立し、征夷大将軍となる。
これが足利将軍の始まりであり、室町幕府の始まりであり、さらには2人の天皇が立つ南北朝動乱の始まりでもあった。
三代将軍・足利義満の代には南北朝の合一が成り、以後しばらくは全盛期が続く。しかし、やがて将軍の権威が低下して幕府内部での争いが加速していく。
10年あまりにわたって争われた「応仁の乱」や、時の将軍・足利義材がクーデターによって失脚させられた「明応の政変」によって将軍と幕府の権威は完全に失墜し、時代は下剋上へ、戦国の動乱へと進んでいくこととなったのである。

鎌倉幕府+建武の新政=室町幕府?

足利氏は源氏(清和源氏)の一族であり、源義家の子・足利義国(よしくに)を祖とする(新田氏の祖でもある)。
足利義兼(よしかね)のときには早い時期から源頼朝に味方をし、また頼朝の妻である北条政子の妹を娶ったことから重く扱われ、「御門葉(ごもんよう)」として一族扱いされていた。

さらに鎌倉時代を通して北条得宗家との関係も深く、幕府の御家人の中でも一、二を争うような名門として扱われることになる。
先述のとおり、源氏の嫡流は早い時期に失われてしまったわけだが、足利氏はそれに次ぐものと考えられていた。その当主である尊氏の裏切りが幕府崩壊の最後の引き金になったのも、また建武の新政において彼が征夷大将軍の地位を望んだのも、この血筋が背景にあったわけだ。

その意味で、室町幕府は鎌倉幕府の直接的な継承者だった。前者を「後代」と呼び、後者を「先代」と呼んだのも納得できる(北条時行が起こした内乱を「中先代の乱」と呼ぶのは、このふたつの武家政権の中間に存在したためだ)。
しかし室町幕府は単純に鎌倉幕府を継承しただけの存在ではなく、その最初の法令である『建武式目』には後醍醐天皇の建武の新政の影響も見られ、また幕府を鎌倉から京都に移すなど、新たな武家政権を目指した点も見逃してはならないだろう。
ちなみに、「室町幕府」という名前自体は、義満が京の室町小路と呼ばれる場所に自らの住居と政庁を築き、以後例外はありつつも代々の将軍がこれを継承したための名前ではあるが、本書では便宜的に義満以前の時代についても室町幕府と呼ぶ。

将軍権力確立は永遠の課題

室町幕府と足利将軍が抱えていた大きな問題としては、将軍権力の問題がある。
先の摂家・親王将軍のときのように傀儡というわけではなかったが、のちの徳川将軍ほどに絶対権力者でもなかった。足利将軍の歴史はそのまま将軍による権力拡大の試みの歴史である、とさえいえるかもしれない。

そもそも、初代将軍である尊氏自身がこの問題に苦しんでいる。彼には有能な弟である足利直義がいて、二人三脚で幕府創設にこぎつけた。
初期の室町幕府は実質的に尊氏を頂点とする軍事部門と、直義を頂点とする内政部門に分かれており、両者を「兄弟将軍」と見る向きさえあった。
しかも、尊氏の下には執事として強大な実権を掌握した高師直という人物がいた。新興勢力をバックにする急進的な師直と、伝統的勢力との折り合いを目指す保守的な直義では、仲が良かろうはずもない。
追い詰められた直義は挙兵し(観応の擾乱)、彼が討たれた後も尊氏の子で直義の養子になっていた直冬が暴れまわった末に南朝に味方するなど、混乱はしばらく続いた。

南北朝の合一を果たした義満はときに悪辣と非難されるような策謀も駆使して有力武家を統制し、将軍権力を強化した。しかし、次代の足利義持以降は彼ら――各地を統治する守護という役職を務め、特に強力な家は「守護大名」と呼ばれた武家の発言力が強まった。
幕府内の人事、それも将軍の選定のような問題にまで彼らの意見が反映されるようになったのだ。室町幕府がしばしば「守護大名による合議制」と指摘されるゆえんである。

特に、将軍の補佐役である管領になれる3つの家(斯波・細川・畠山)と軍事機構である侍所の所司(長官)になれる4つの家(山名・一色・赤松・京極)はあわせて「三管四職(さんかんししき)」と呼ばれ、それぞれ権力をめぐって激しい対立を繰り広げた。
また、中央と地方の対立もあった。関東八ヶ国+伊豆・甲斐(これはそのまま建武の新政の鎌倉将軍府の範囲である)を統括する地方機関として鎌倉府が設置され、その長である鎌倉公方は尊氏の子である基氏の末裔が代々務めた。これを有力武家である上杉氏が関東管領として補佐したのだが、将軍と鎌倉公方はたびたび対立し、そこに関東管領も加わって、混乱を巻き起こすことにもなった。

代々の足利将軍はこのような有力者たちと渡り合いながら、自らの政治を進めていかざるを得なかったのである。

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