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【クーデターで読み解く日本史】父と娘が天下をかけて知恵くらべ――牧氏事件

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1205年(元久2年) ○北条政子・北条義時 ×北条時政・牧氏

梶原景時、比企能員を倒した北条時政・政子親子だったが、やがて二人の関係は雲行きが怪しくなり、ついには対立するようになる。

その背景には、時政とその後妻・牧氏による「娘婿の平賀朝雅(ひらが ともまさ)を将軍の座に就かせたい!」というもくろみがあった。
そのためには現在の将軍である実朝を排除しなければならず、これがついに時政と牧氏による実朝暗殺計画にまで発展した。また、これに先立つ形で朝雅と武蔵国の武士・畠山重保(はたけやま しげやす)が対立すると、時政は重保とその父の重忠(しげただ)を殺害してしまっている。政治的闘争の一巻であったと考えるべきだろう。

そして1205年(元久2年)、時政と牧氏はいよいよ実朝を将軍の座から引き招り下ろすべく動き出したのだが、政子によって妨害された。
彼女はこの計画を未然にキャッチしており、実朝を弟の義時の屋敷に移してしまったのである。さらに朝雅も当時いた京で殺害されてしまう。

結果、陰謀を阻止された時政は出家して伊豆に渡り、幕政の表舞台から姿を消すことになる。
幕政の実権は二代目執権となった義時と、「将軍の母」政子に移るのだった。

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