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【クーデターで読み解く日本史】実力者に虐げられていた主人の反抗――平禅門の乱

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1293年(永仁元年) ○北条貞時 ×平頼綱

霜月騒動で安達氏を滅ぼし、御家人たちを御内人(みうちびと)の下に置くことに成功した平頼綱(たいら の よりつな)は、出家して平禅門と名乗りつつ、政治の実権をその手に握り続けた。
執権・北条貞時(ほうじょう さだとき)がわずか14歳と若かった執権就任直後の頃はそれで問題なく政治も進んだが、貞時が成長すると意見の対立が起こるようになる。

そして、先手を打ったのは貞時だった。
1293年(永仁元年)4月、頼綱の子の宗綱(むねつな)が「父が弟の飯沼資宗(いいぬま すけむね)を将軍にしようと画策している」と密告するや、すぐさま兵を派遣して頼綱ら一族を自害へ追い込んでしまったのである。

御家人たちを圧迫する御内人のトップがこうしてクーデターに倒れたわけだが、しかしそのことは御家人たちの復権を意味しなかった。
むしろ、御家人と御内人がともに執権・得宗家の下に改めて組みいれられ、得宗専制政治が加速することになったのである。

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