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【クーデターで読み解く日本史】守護打倒を夢見た国衆たちの蜂起――播磨の国一揆

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1428年(正長元)~1429年(永亨元) ○赤松満祐 ×一揆

正長の土一揆が京や奈良を暴れまわっていたのと歩を並べる形で、播磨でも1428年(正長元年)の頃から国衆・農民たちが結成した一揆勢力が播磨守護の赤松氏と対決するようになった。播磨の国一揆である。
一揆の蜂起は11月頃に始まったもので、一部徳政が認められるなど守護側にも歩み寄りの姿勢が見られた。しかし翌年、突如として赤松氏が手のひらを返して弾圧の構えを取ったため、両者は1ヶ月あまりもの間激しく争った。
結局、守護・赤松満祐が軍勢を率いて京より戻ったこともあり、一揆による武力反乱は鎮圧されることになった。

播磨の国一揆が正長の土一揆と分けて注目されるのは、後者の焦点が年貢問題であり、つまり経済的な動機に拠ったのに対し、前者は赤松氏という守護の支配力が高まることを不服とする国衆たちが大きな役割を果たした、という性質の違いからである。

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