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【クーデターで読み解く日本史】関東管領への反発が招いた公方残党の結集――結城合戦

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1440年(永享12年) ○室町幕府 ×結城氏朝

永享の乱の後、関東に広く支配力を及ぼすことになった関東管領・上杉氏だったが、すぐさまこれに対する反発が具体的な形を取った。結城合戦である。

発端は1440年(永享12年)、足利持氏の遺児である春王(はるおう)・安王(やすおう)兄弟が持氏派の残党に担ぎ出される形で挙兵したのだ。
そして彼らの呼びかけに応え、反上杉勢力を結集させる役目を担ったのが下総国の国人・結城氏朝(ゆうき うじとも)である。
さらに少なくない数の関東武士が氏朝に味方したが、やはり関東管領に、そして幕府に対抗するにはあまりにも非力だった。

それでも、結城城に立てこもった氏朝と5千の兵は、総勢十万ともいう幕府方の大軍をむこうに回して10ヶ月あまりも持ちこたえて見せたのだから、立派というべきだろう。
せめてものことか、1441年(嘉吉元年)4月、落城寸前の城から女房たちに混じって春王・安王兄弟が密かに脱出させられたのだが、これも幕府方に見破られて捕らえられ、後に殺害されてしまった。そして氏朝らも幕府方の攻勢によって皆殺しになり、結城合戦は決着したのである。

しかし、この後も上杉氏の支配に反発する反乱は起き、関東情勢はなかなか安定することがなかった。

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