攻城団ブログ

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【画像73枚】名古屋城・西の丸御蔵城宝館の見学レポート

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昨日は11月1日にオープンする「名古屋城 西の丸御蔵城宝館」の報道向け内覧会に参加してきました。

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米蔵を模した外観で、名古屋城が所蔵する障壁画など多くの文化財を最適な環境で維持管理し、また広く公開するための施設としてつくられました。
位置づけとしては二条城にある展示収蔵館と同じような感じです。

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ちなみに名古屋城本丸御殿は1945年(昭和20年)の空襲で焼失しましたが、御殿内の障壁画は当時の名古屋市職員の方々により避難させられていたので、戦火を免れていまも残っています。
(これほんとに素晴らしい英断でしたよね)

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開館記念特別展「名古屋城誕生!」

オープニングを記念した特別展として、初日からは名古屋城の築城をテーマにした特別展がはじまります。
今回招待いただいたのはその内覧会でもあったのですが、最初の展示ということもあり数ある資料から築城、とくに石垣普請についてのものを集めて紹介されています。

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ほとんどすべての展示物の写真を撮ってきましたので、それを載せつつぼくが伺った内容を紹介していきましょう。

オープン後、展示室内の写真撮影は禁止だそうです

第一章 清須から名古屋へ

最初にあるのが「徳川家康坐像」(名古屋城総合事務所蔵)です。
(以下、とくに記載のないものはすべて名古屋城総合事務所の所蔵品です)

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そのとなりが重要文化財の本丸御殿障壁画「松楓禽鳥図(まつかえできんちょうず)」です。

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表書院の襖絵で、秋を描いたということでこの絵が選ばれたとのことです。
おそらく名古屋城所蔵の障壁画でもっとも有名なのは狩野探幽の「雪中梅竹遊禽図襖(せっちゅうばいちくゆうきんずふすま)」で、去年東京国立博物館で開催された特別展「桃山―天下人の100年」でご覧になられた方も多いかもしれませんが、この襖絵は家光の上洛にあわせて増築された上洛殿のものなので築城時のものではありません。

一方、この表書院は築城時からあった建物なのでこの絵を展示することにしたそうです。
ただ有名な絵を展示するのではなく、テーマにあわせてチョイスするのはいいなと思いました。

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二条城の展示収蔵館はひたすら二の丸御殿の障壁画を面で切り取って展示しています。
個人的にあのスタイルは御殿内部を再現した建物の内装含め好きなのですが、よそから借りてきた資料とあわせてテーマ展示をするというこの西の丸御蔵城宝館のスタイルも博物館要素が強まってていいですね。
今後は名古屋城が所蔵しているほかの障壁画も展示されるそうなので、学芸員の方々がいろんな切り口で所蔵する障壁画を(ほかから借りた関連資料とともに)表に出してくださるのだろうと期待しています。

第二章 石垣普請

つづいては熊本藩細川家の家老・松井家に伝わる2枚の書状で、いずれも初公開のものです。

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ひとつは「名古屋御城御普請衆御役高ノ覚(なごやおしろごふしんしゅうおんやくだかのおぼえ)」(熊本大学附属図書館蔵)という2019年(令和元年)に発見された書状で、ようは石垣普請に参加した大名とそれぞれの担当エリアが記載されたリストなのですが、大変重要な資料でもあります。

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一般に「名古屋城の天守台石垣は加藤清正が築いた」とよく言われていると思いますが、その証拠となったのがこの資料の冒頭「御天守」の欄に唯一の担当者として記載された「賀藤肥後守」(加藤肥後守=加藤清正のこと)の記述です。

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名古屋御城御普請衆御役高ノ覚【部分】(熊本大学附属図書館蔵)

名古屋城は天下普請で築かれていることもあり、尾張藩に資料は残っておらず、このように参加した各藩の大名家に伝わっているんだそうです。
幕府が工程管理するために用意していてもおかしくないと思いますし、あまりに性善説で放任主義な気もしますが、関ヶ原後(そして大坂の陣以前)という時代背景を考えると、大名たちは幕府の評価を高めるために競って工事を進めたでしょうから細かく管理監督をしなくても完成したのかもしれないですね。

ちなみに名古屋城築城の際、細川家も小倉藩として参加しています。
その後、加藤家が改易となって細川家は小倉から熊本に移封となったので、この書状が熊本大学附属図書館にあるというわけです。

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もうひとつは「岡村半右衛門尉事(おかむらはんえもんのじょうこと)」(熊本大学附属図書館蔵)という書状で、こちらは藩主・忠興の代わりに名古屋城築城の天下普請に参加した細川忠利が(忠興が普請奉行=ヘルプとして派遣した)岡村半右衛門を手討ち(処刑)にしてしまい、その自己弁護と、忠興へのとりなしを国許(小倉)にいる家老衆に頼み込んでいる書状です。

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内容としては岡村半右衛門がめちゃくちゃ無礼な振る舞いをして証人もいるとか、父(忠興)が奉行として同行させた者だから最初は我慢したけどそれも限界だったといったことが書かれています。
なぜここまで必死に言い訳をしているかというと岡村半右衛門は忠興の家臣であり、その家臣を勝手に手打ちにすることは忠興への叛逆と受け取られてもおかしくないからです。
(忠利が家督を譲られて小倉藩主となるのは1620年(元和6年)のこと)

親子での確執は江戸時代でも珍しくありませんでしたし、そもそも忠利自身ももともと三男でありながら兄を差し置いて世継ぎになっていることからも緊張感の伝わる手紙です。
(加えて忠利は江戸での人質生活が長く、国許での存在感も薄かったのではないかと)

そしてこちらも今回初公開となる「名古屋御城石垣絵図(なごやおしろいしがきえず)」(靖國神社遊就館蔵)です。
とても大きなこの絵図は石垣普請の担当場所を城の縄張りにあわせて書き入れたもので、さっきの「名古屋御城御普請衆御役高ノ覚」と対をなす資料ですが、若干担当エリアが異なっている部分もあり、こちらのほうがあとで作成されたようです。

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この絵図には藩主名のほか、奉行の名前と花押が書き入れられているのですが、岡村半右衛門の名前がないことからも半右衛門が殺された5月13日以降のものと考えられるそうです。複数の資料を比較検討することで特定できることが増えるのもおもしろいですね。
なお天守台石垣の担当者(加藤家)の名前が記載されていないのもポイントで、おそらく天守台については並行した別作業で進んでおり何度か計画が変更されたのではないかと考えられています。

ほかにも前年に同じく天下普請で築かれた丹波篠山城の普請に参加した助役(すけやく)大名の負担を軽減するために、篠山城の普請に不参加だった大名は三割増しになっているなど、幕府もいろいろ融通をきかせてたんだなということがわかります。

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名古屋御城石垣絵図【部分】(靖國神社遊就館所蔵)

絵図を見る際の注意点としては、記載されている名前がぼくらの知ってる名前とちがうという点です。
たとえば前田利常は「松平筑前守」、細川忠興は「羽柴越中守」、池田輝政は「羽柴三左衛門」と「名字+官職名」で書かれています。
(上述のとおりじっさいに忠興は名古屋に来ていないのですが、あくまでも藩主の名が記載されるのでしょう)

秀吉や家康は上下関係を明らかにして、自らのファミリーに取り込むために「羽柴」や「松平」の名字を与えているのでこの絵図には大量の羽柴さんと松平さんがいます。
かなり字が細かいので単眼鏡などを持参するといいと思います。

絵図の横の壁に実名と記載名の一覧がありますので、これを確認するのがいいでしょう。

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実名 絵図中の表記 居城
前田利常 松平筑前守 加買金沢
黒田長政 黒田筑前守 筑前福岡
細川忠興 羽柴越中守 豊前小倉
鍋島勝茂 鍋島信濃守 肥前佐賀
田中忠政 田中筑後守 筑後柳川
寺沢広高 寺沢志摩守 肥前唐津
毛利高政 毛利伊勢守 豊後佐伯
竹中重利 竹中伊豆守 豊後府内
稲葉典通 稲葉彦六 豊後臼杵
木下延俊 木下右衛門大夫 豊後日出
金森可重 金森出雲守 飛騨高山
池田輝政 羽柴三左衛門 播磨姫路
生駒正俊 生駒左近大輔 讃岐高松
福島正則 羽柴左衛門大夫 安芸広島
浅野幸長 浅野紀伊守 紀伊和歌山
山内忠義 松平土佐守 土佐高知
毛利秀就 松平長門守 長門萩
蜂須賀至鎮 蜂須賀阿波守 阿波徳島
加藤嘉明 加藤左馬助 伊予松山
加藤清正 (記載なし) 肥後熊本
なぜ靖国神社にあるの?

そしてなぜ靖国神社に名古屋城の資料が伝わっているのか疑問に思っていたのですが、ちゃんと説明がありました。
廃城令後、多くのお城が陸軍の駐屯地になったことはご存知の方も多いと思います。
とくに平城は広大な敷地を利用できることから、広島城や駿府城などが陸軍に使用されたのは有名ですね。そしてこの名古屋城にも陸軍第三師団の司令部が置かれていました。

狩野派の障壁画が飾られた立派な御殿があり、明治時代には離宮にもなったことで二条城とよく似ている名古屋城ですが、この陸軍所管の歴史の有無が最大のちがいかもしれません。まあ二条城には復元天守もないのですが。

話を戻すと、名古屋城(=尾張藩)にあった資料が愛知県、さらに陸軍(名古屋鎮台)に引き継がれ、それがのちに靖国神社に遊就館(ゆうしゅうかん)ができた際に寄贈されたそうです。

www.yasukuni.or.jp

第三章 天守台石垣

ほかにも「金城温古録(きんじょうおんころく)」や天守台石垣の中から見つかった石仏や石塔が展示されていたり、石垣を運んだという伝承がある車軸や石曳きの様子を描いた「尾張名所図会(おわりめいしょずえ)」もありました。

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こういう単体では取り上げにくい資料を見せていただけるのもテーマ展示ならではですね。
(東南隅櫓の近くに「清正公石曳きの像」が建てられていますので名古屋城を訪問された際はお見逃しなく)

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さて、ここまで入口から壁伝いに展示物を見てきましたが、中央部分にも数点だけ展示があります。
「名古屋城石垣普請扶持米請取状(なごやじょういしがきふしんふちまいうけとりじょう)」や名古屋城築城以前を描いた「那古野村之古図(なごやむらのこず)」などで、こうしたのも見逃せませんね。

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ふたたび壁面展示に戻ります。
名古屋城天守の四面すべての方向から正確に描かれた実測図が4枚並んでいます。
名古屋城にはこうした正確な実測図が何百枚と残っているからこそ木造復元の計画が可能になっているわけですが、間近で見ると驚くほど精細に描かれていました。

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とくに注目は北側から描いたこちらの絵図で、向かって左側は慶長期=築城時の石垣、右側は江戸中期(宝暦年間)に修復された石垣であることが正確に描かれています。
石垣の積み方がきれいになっているのがよくわかりますね。

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なお天守台石垣には

  • 東北隅に「加藤肥後守内(かとうひごのかみない) 小代下総(しょうだいしもふさ)」
  • 西南隅に「加藤肥後守内 小野弥治兵衛(おのやじべえ)」
  • 東南隅に「加藤肥後守内 中川太郎平(なかがわたろうべい)」

と四隅のうち3つに刻銘を確認できますが、西北隅だけないのはここが積み直した場所だからです。

すべての実測図の画像データは名古屋城のホームページに公開されているので誰でも見ることができますよ。

www.nagoyajo.city.nagoya.jp

第四章 初代城主・徳川義直と本丸御殿

最後の部分が徳川家康の9男で尾張藩初代藩主の徳川義直と、本丸御殿についての展示です。

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「編年大略(へんねんたいりゃく)」という尾張徳川家の歴史をまとめた書物から、義直と浅野幸長の娘が本丸御殿で結婚式をあげた部分を紹介しています。

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またこちらは最近購入された資料で今回初公開ということでしたが、義直の弟で和歌山藩主になった徳川頼宣の書状です。

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内容としては、伏見の「こやば」で便宜を図ってくれたことについて弟が兄にお礼を伝えているものです。
現時点の仮説としては後水尾天皇の行幸に先立って二条城の拡張工事に動員された義直と頼宣が、伏見城の建物を移築する際になんらかの協力をしたのだろうとのことでした。

小屋場(こやば)というのは解体した資材置き場なのかと質問したのですが、よくわからなくて今後ほかの資料などが出てくれば特定できるかもしれないそうです。

二条城の寛永改修工事は大御所・秀忠が自分の弟である義直や頼宣に手伝わせており、天守台石垣は尾張藩が築いたという記録も残っているので、思わぬところで二条城が出てきてうれしかったです。
このあたりはマンガでも紹介しているので未読の方はぜひ。

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そして先ほどは天守の実測図でしたが、今度は本丸御殿の実測図が4枚展示されています。

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最初のコーナーに展示されていた金碧障壁画「松楓禽鳥図」のある表書院の平面図もあります。
あの襖絵は表書院一之間と二之間を遮断する襖の二之間側に描かれているのですが、場所はわかりますか。

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とまあ聞いたことをほぼすべて書いて、写真も撮れるだけ撮ってきましたが、やっぱりじっさいに自分の目で見てほしいです。
とくに今回初公開の資料の数々は次にどこで見られるかわからないので、とくに地元の方は東京や熊本の貴重な資料を見れますのでぜひ期間中に訪問してみてください。

特別展の図録がなんと110円で買えるのもすごいです。
ぼくは昨日の取材時にいただいたのですが、前半で紹介した貴重な展示品の写真と説明がしっかり書かれているのでこのレポートを書くのにも助かりました。

そして次回の告知もありました。
次は「武家の備え」だそうです。刀剣や甲冑が展示されるようなのでこれも楽しみですね。

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展示室全体の写真もちょうど人がいないタイミングで撮れたのでご紹介。

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展示室を出たところには旧国宝時代の鯱瓦が置いてあります。
これらの銅鯱(金ではなく銅)は明治時代、名古屋城が名古屋離宮だった頃に江戸城(皇居)から移されたものだそうです。

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歴史情報ルームやショップもすごい

さっきの特別展は展示室で開催されていますが、じつは入口から入ったところにはミュージアムショップがあり、その奥には歴史情報ルームという展示コーナーがあります。

こちらのスペースは写真撮影もオッケーです

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歴史情報ルームでは名古屋城の築城から400年にわたる歴史をパネルで紹介しているのですが、QRコードで多言語対応しているし、子ども向けの紹介も大人が読んでも勉強になる内容になっています。
すべての漢字にふりがなが振ってあるのも素晴らしいと思いました。大人だって「打込接」とか「花崗岩」とか読めないですからね。いろんなところに学芸員のみなさんのこだわりとおもてなしが見え隠れしていて、ぼくはとても気に入りました。

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またショップには過去に開催された企画展の(売切れになっているものをのぞく)すべての図録が並んでいるそうです。

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今回の特別展の図録も販売されているのでぜひ買って帰りましょう。

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この西の丸御蔵城宝館は正門から入ってすぐの位置にあるので、まずはここで名古屋城についての情報を仕入れてから本丸御殿や天守を見学されるといいと思います。
天守は現在入れないので外からの見学となりますが、今回の展示で紹介された天守台を含む城内の石垣をじっくり観察するのも楽しいと思います。

現在招待券のプレゼント中!

開館記念特別展「名古屋城誕生!」は12月19日(日)までの開催で、この期間中のみ使用できる名古屋城の招待券をプレゼントします。
(西の丸御蔵城宝館そのものは入館無料です)

1ヶ月半ほどではありますが、名古屋を訪問できそうな方はぜひご応募ください。もちろん名古屋市在住の方の応募もお待ちしています。
応募の締め切りは11月3日となっていますのでお早めに!

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