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榎本先生の最新刊「執権義時に消された13人」について対談しました

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今月18日に発売される榎本先生の最新刊「執権義時に消された13人」についての話を伺いました。
前回の「将軍の日本史」のときは発売後の収録になってしまったので、今回は発売に間に合うようにゲラの段階で読ませていただき事前に収録することができました。

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この本は来年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の予習にぴったりな内容で、ぼくのように13人の名前がスラスラと出てこないような鎌倉時代初心者にはとくにオススメです。
(いちおう補足しておくと本書で紹介される13人はいわゆる「鎌倉殿の13人=十三人の合議制」とイコールではなく、大半は重複しますが北条義時とその父・時政らによって政権の中枢から排除されたり暗殺されたりした13人です)

すでにいろんな人が語っているでしょうし、また来年になればさらに多くの人が語るのでしょうが、鎌倉時代初期ってめちゃくちゃドロドロしていて、暗躍暗闘の時代なんですよね。
それこそ大河ドラマでは毎週がクライマックスというか、次から次へと事件が起きて主要キャラが退場していくのですから、おもしろくないわけがない。しかも脚本は三谷さんですし。

その原因は鎌倉幕府の創設者であり初代将軍の源頼朝が1199年(正治元年)1月に急死したことにあります。
幕府創設年が1185年(文治元年)でも1192年(建久3年)でもわずか10年前後で他界したため政治基盤が安定しておらず、そのあとを継いだ頼家がまだ18歳だったこともあり、頼朝の代から仕える御家人たちがサポートの名のもとに関与して、そのサポートメンバー間での権力闘争が繰り広げられます。

具体的には梶原景時の変、比企能員の変、畠山重忠の乱、牧氏の変……と変や乱が繰り返され、そのたびに有力御家人や将軍候補が表舞台から退けられていきました。まさに生き残りゲームの様相を呈した中で、最後の勝者となったのが北条義時でした。でもそれは綱渡りの勝利であり、誰が勝ってもおかしくない状況でした。
ちなみに「変」とか「乱」といった呼称も勝った側の正当性を誇示するためにつけてるだけで、大義がどちらにあったかはまた別の話です。

脱線のようでいて本質っぽい話も

ついついいろんな脱線もしました。
親子の権力移行は意外とむずかしく、その後の政権でも失敗例が多いとか。頼朝のように急死にかぎらず、秀吉のケースなどは秀次・秀頼と自身が迷走したこともあり豊臣家の弱体化を招きました。
一方で、織田信長から織田信忠への移譲はかなりうまくいっていたのではないかとか。ぼくらはその後を知っているし、ふたりが同日に明智光秀に討たれてしまったため、この成功例を見落としがちですが、のちの大御所政治のモデルケースと言えるかもしれません。
(そして三法師への移譲は未着手だったので「本能寺の変」後に混乱が起きたのも当然です)

そして将軍とは世襲するものである、というのは少なくとも鎌倉時代では「否」でした。
ぼくらはついつい江戸幕府の将軍をイメージしがちですが、武家政権におけるトップ=将軍職ができたばかりの頃は制度として確立しておらず、試行錯誤だったため、必ずしも嫡子嫡流である必要はありませんでした。
事実、4代将軍を藤原摂関家から迎えていることは先生の前著「将軍の日本史」で紹介されたとおりですし、本書でも紹介されている平賀朝雅(ひらが ともまさ)のように頼朝と血の繋がりがない者でも将軍として擁立されかけました。

家職として世襲されるようになったのは室町幕府の足利将軍家以降の話で、鎌倉時代ではせいぜい「神輿」といったところでした。
このへんの時代認識というか、イメージの補正は大河ドラマを楽しむ上でも役立つと思うので、ぜひ動画を見てぼくといっしょに学びませんか。

プレゼントの募集も11月14日まで受付中です。

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