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【10大戦国大名の実力】織田家②――尾張における下剋上と弾正忠織田家の台頭

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応仁の乱と織田氏、そして信秀の登場

織田氏の台頭にあたって大きな要因となったのが、主君である斯波氏の衰退であった。
1452年(享徳元年)に当主・斯波義健(しば よしたけ)が早世し、代わって当主となった義敏(よしとし)が重臣と対立した末に内乱を引き起こす。
これを時の将軍・足利義政が討伐するのだが、しばらく後に義政は義敏を赦して越前・尾張・遠江の三ヵ国守護へと復帰させてしまうのである。この争いは当然の如く尾張にも波及し、大きな混乱を発生させた。

その後も斯波氏の家督をめぐる争いは続き、この名門は衰退していくが、事態はそれだけでは収まらなかった。
同じく名門の畠山氏でも家督争いがおき、室町幕府を二分する大勢力であった細川氏と山名氏がそれらに介入し、さらには将軍・義政の後継者問題まで発生して、未曾有の大乱――応仁の乱が勃発してしまう。
この出来事が室町幕府を衰退させ、時代が戦国の動乱へと突入していくのは周知のとおりである。ちなみに、のちに越前・遠江を失った斯波氏は織田氏に保護されるも、信長と対立した末に追放されてしまうのだが、これはまた別の話。

そんななかで、織田氏も分裂を起こす。守護代を務めていた織田氏本流・伊勢守(いせのかみ)織田家に対し、大和守(やまとのかみ)織田家が反旗を翻したのだ。
両者は応仁の乱終結後も対立と和平を繰り返し、やがて大和守織田家が斯波氏を奉じて清洲城に拠り尾張下四郡を統治し、伊勢守織田家が岩倉城に拠って尾張上四郡を統治する形になった。そのため、前者を清洲織田家、後者を岩倉織田家とも呼ぶ。

この両者も天文年間になると衰退を始め、代わって台頭したのが清洲織田家で三奉行と呼ばれた分家のひとつ、弾正忠(だんじょうのじょう)織田家だった。この血筋こそが信長につながることになる。
弾正忠織田家にはまだ守護代の力が強かった信長の曾祖父・織田良信(おだ すけのぶ)の時代から、清洲織田家が支配する地域の寺社の領地を勝手に奪うなど独自の動きが目立つが、特に勢力を伸ばしたのが織田信秀(おだ のぶひで)、信長の父の時だった。

信秀は本来の主君である清洲織田家や同僚の三奉行などと対立する一方で、古くから尾張中部に勢力をもつ那古野今川氏を倒して那古野城を奪取。さらにその手は尾張国外へまで延び、東は三河へ進出して松平氏や今川氏と戦い、北は美濃で斎藤氏との勢力争いを繰り広げた。
しかし、残念ながら信秀自身はそうした勢力拡大が大きな成功を収める前に42歳で死去した。

信長の活躍と死

信秀の死後、いよいよ信長の活躍が始まる。信秀は生前に国内の有力勢力である清洲・岩倉の両織田家や斯波氏を叩くようなことをしなかったため、没後には国内の勢力が次々と離反していくことになった。
そのため、家督を継いだばかりの若き信長は尾張国内で自身と対立する他の織田氏や尾張国人との戦いから始めなければならなかった。さらに身近な親族すら彼の絶対的な味方とは言えない状況でもあった。
しかし、この逆境から後の「戦国の覇王」は目覚ましい躍進を遂げていく。

若い頃の信長は奇妙な恰好や見苦しい振る舞いが目立って、現在でいうような「不良のバカ息子」的な行動を好んだことから、「大うつけ」(うつけは空虚の意味で、中身がからっぽだとさげすむ言葉)と呼ばれたような人物だった。
信秀の葬儀においてもやはりそのままの恰好で現れ、抹香を仏前に投げつけた――というから相当なものである。織田家臣団もこれをかなり不満に思ったろう。

だが、この「大うつけ」が化けた。武家の次男・三男といった通常注目されない人々(彼らの一部は前田利家など、かつて信長とつるんでいた連中だった)を味方に引き入れ、自身の軍勢として育成。その武力を背景に、清洲城の織田信友、岩倉城の織田信賢、そして二度の反逆を企んだ弟・信勝(一般には信行の名で知られる)といった敵対勢力を次々と倒していく。
こうして信秀の死の7年後には、信長は尾張ほぼ一国をその手中に収めた。

その後の活躍についてはあまりにも有名すぎる。当時「最も天下に近い男」とうたわれた今川義元を桶狭間の戦いで破り、隣国美濃の斎藤家を滅ぼすと、松永久秀らにより京を追われた足利義昭を奉じて上洛。
その義昭と対立して、「信長包囲網」と通称される諸大名の連合軍に周囲を包囲される危機に陥るも、各個撃破によってこれを打倒。近畿を中心に強大な勢力を築き上げると各地に遠征軍を派遣し、天下統一まであと一歩と迫ったところで重臣中の重臣だった明智光秀の謀反により、京の本能寺で倒れた。
享年49歳、桶狭間の戦いで出陣する前に信長が歌い舞ったことで有名な「敦盛」の「人間(生)五十年」まで、あと1年での死だった。

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