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【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】城の分類と歴史③――本城と支城の微妙な関係

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城はさらに細かく、その用途によって分類していくことができる。
まず、大名が本拠地とする、あるいは一定地域において中心的な役割をする「本城(居城)」に対して、本城の出張所的存在である「支城(端城)」がある。さらにその支城から派生して支城が築かれることもあり、この場合は元の支城が中心拠点としての「根城」になり、派生した城が「又支城(枝城)」と呼ばれた。

支城は城主がいるケースもあれば、大名の直轄地になっているケースもある。
この城主はしばしば本来その地に根付いている国人領主を前身としている。その場合は大名の部下というよりは傘下に入っている独立豪族、という色合いのほうが強い。元は独立企業の社長だが、現在は全国規模の巨大グループに吸収されてグループ会社社長、といったところだろうか。
そのため、城主たちは情勢の変化に敏感であり、現在の主人に味方し続けることが不利と思ったなら容赦なく裏切り、新しい主人に付く。彼らの裏切りは城および城主の支配地域がそのまま敵方に付くことを意味する。それどころか、周囲の城主たちまで感化されて、一斉に敵方へなびいてもおかしくない。

これを大名としては放置できないので、もちろん攻撃する。
一方、新しい主人となった大名もそのまま見殺しにしては信用がなくなってしまうので、救援の兵を送る。結果、ひとつの城の裏切りをきっかけに、二つの大勢力が正面衝突、ということがしばしば行われるのだ。援軍の兵のことを「後詰(ごづめ)」ということから、援軍の派兵を受けて起こった決戦を「後詰決戦」という。

支城をさらにその性質によって分けていこう。
最も重要なのが「境目(さかいめ)の城」で、これは敵対する勢力との境界線近くに築かれる最前線基地である。しばしば複数の城が境界線に沿っていくつも築かれて、有事に対する備えとなっている。もちろん、境界線は情勢の変化によって動くものだ。敵方に向かって押し込む、あるいは味方側に向かって押し込まれるなどがあれば、それに伴って境目の城も作り直される。

もちろん、前線と本拠地だけでは戦いはできない。本城と境目の城の間には「繋ぎの城(伝えの城)」と呼ばれる、移動・通信・連絡のための中継施設としての城があった。煙を炊いて敵の接近や情勢の変化などを知らせる「烽火台(のろしだい、ほうかだい)」も、広い意味ではその一種といえるかもしれない。
情報や統治に重きを置く繋ぎの城と烽火台に対して、「番城(ばんじろ)」は兵たちの詰め所になっている城で、純粋に軍事拠点としてのものといえる(城主のいない、大名が直轄する城のことを指す、とも)。

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