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【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】城の分類と歴史④――必要とあればその場で城を作る

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ここまで紹介してきた城は、主に恒久的に使い続けるのが目的だった。だがそうでない、あくまで臨時の城というものも合戦では盛んに築かれていた。
敵の城を攻めるにあたってその足がかりとするため、城に付けるように築くのが「付城(つけじろ)」である。相手に向かって築くのが「向城(むかいのしろ)」、あるいはターゲットの城とついになるように築くから「対の城(たいのしろ)」ともいう。どちらにせよ、臨時の前線基地のようなもの、と思えばまず間違いはないだろう。この付城は本当に攻城戦の最前線だったので、なるべく敵城近くに築いたようだ。

これに対し、同じく臨時の城として「陣城(じんじろ)」というのもあった。こちらは空堀を築いて土塁を持って陣幕をめぐらすというもので、最前線基地である付城に対しその後ろで指揮官が状況を確認し、指揮を行うためのものと考えられる。
たとえば、持久戦を得意とし、また派手好きでもあった豊臣秀吉が、この陣城に持ち前の成金趣味を発揮して派手に飾りつけた、などのエピソードが伝わっている。

付城の簡易的なものは「仕寄り(しより)」、陣城の小規模なものは「陣所(じんしょ)」とそれぞれ呼んだ。
臨時で城を築くのは攻城側だけではない。籠城側が城に隣接する形で防御のために築いたものを「出城(出丸)」という(隣接しない場合でもこの名で呼ばれることもある)。もっとも有名な出城は、大坂冬の陣における「真田丸」だろうか。

ちなみに、よく使われる「砦」という言葉はここまで触れてきた城の分類とはちょっと違い、定義についてもあいまいな部分が大きいのが実際のところ。統治機能を削って軍事機能だけに絞った、小規模で臨時の城というのが一般的なイメージであるようだ。

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