同じくらいポピュラーな説に、鉄砲の登場を挙げるものがある。
戦国時代に伝来したこの新兵器に代表されるように、この時期に合戦の様相が大きく変化し、城もまたその流れを受けて変化したのだ、というわけだ。
のちに南蛮人あるいは紅毛人と呼ばれたヨーロッパ人たちによってもたらされたこの新兵器は、まず九州の南に浮かぶ種子島に伝来し、これがやがて西国を中心に各地へ波及して、従来の武器を上回る威力によって戦国時代の戦いを劇的に変化させた、とされる(伝来の時期や場所については諸説あり)。
戦国大名たちは自らの領国を富ませて得た経済力をバックに兵を増やし、また鉄砲という高価だが有用な兵器をそろえることによって軍事力を拡大させようとした。結果、合戦の主役は騎兵から歩兵へと移り変わり、「数」と「兵器」こそが戦いの趨勢を決めるようになった。
こうなると、合戦の大道具としての城も姿を変えざるを得ない。敵兵の侵入を阻むための広い水堀や急傾斜の石垣が利用されるようになり、私たちのよく知る近世城郭につながっていく。このような大規模な城を築くのには、山の頂上は向かない。平地や小高い丘のほうがよい……ということなのだろう。
また、先述したようにそもそも山城が普及したのには「騎兵に有利」という点があったからだ。騎兵が戦場の主役でなくなったのであれば、山城のセールスポイントそのものが色あせていく、というのも納得できる見方ではないだろうか。