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【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】城の変化③後詰決戦に備えて?

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理由の三つ目として、後詰決戦との関連に注目する説を紹介したい。
先述したように、後詰(援軍)から大規模な決戦が起きたケースは多い。そうでなくても後詰は重要で、敵方に攻められた城をいかに救援し、守るかは戦国大名にとって大きな課題となる。
この点から、藤井尚夫氏は『復元イラスト 中世の城と合戦』(朝日新聞社)で『信長公記』を分析し、平城の方が後詰決戦での救援が成功しやすい(他が5割や6割なのに対し、平城は10割)ため、落ちにくいと解説する。

これは実際のところ非常に頷ける話だ。つまり、山岳部の兵が展開しにくい場所にあるということは、敵が攻めにくいのと同時に、味方も助けにくいのが当然。
広い平地が近くにあれば一気に攻撃できるのに、狭い場所ではそうもいかず、結果としてにらみ合った末に引き揚げざるを得なくなる、という可能性が高かったのだ。もちろん、この場合、城に立て籠もった兵たちは見殺しだ。落城するまで戦うか、降伏するかしか選択肢がなくなってしまう。

こうなれば、後詰決戦に便利な「近くに広い平地を持つ平城」が増えていくのは利の当然といえる。
実際、藤井氏は前掲書で信長が本城は山城、支城は平城にしていることを指摘し、この説の裏づけとしているのだ。

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