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【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】奮戦の舞台①――女性が支えた城・末森城

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見事に役目を果たした城のケースがあれば、そのような籠城の戦いの中で伝説的だったり特徴的だったりするエピソードが生まれるケースもある。
ここからは、他の城には見られないその種のエピソード、あるいは攻め手と守り手の丁々発止のやり取りなどが見えるケースを集めた。城を守り、役目を果たそうという人々の必死の努力と奮戦が浮かび上がってくるだろう。

能登の末森城(石川県羽咋郡)は加賀・能登・越中の三国を結ぶ要所に位置する。織田政権において加賀・能登を与えられた金沢城主・前田利家が、本能寺の変後に織田家臣団同士が相争うようになると、越中の佐々成政の侵攻に備えるためにこの城を築いたとされる(それ以前、能登畠山氏の時代からあったとも)。
1584年(天正12年)、いよいよ成政が来襲する。これに立ち向かうことになったのが末森城とその城主・奥村永福(おくむら ながとみ)である。末森城を落とされると加賀・能登間の連絡が断たれるため、永福らは決死の戦いを挑むことになった。

この戦いの中で、活躍した女性がいた。永福の夫人である。名前は判明していないが、「安」だという説もある。
成政が攻めてきた時、末森城の兵力と佐々軍の兵力の差は圧倒的だった。永福は防衛に徹し、救援の到着を待ち続けたが、容赦ない佐々軍の攻撃に次々と城兵が倒れていった。
その時、永福夫人は女中たちにてきぱきと指示を与え、治療や武器の運搬に働かせた。さらに炊いた粥や温めた酒を城兵に振る舞いながら、「必ず援軍は来ます」と強く言葉をかけ続けたという。

これによって士気のあがった城兵は、利家の率いる援軍が到着するまでの2日間を見事に耐えきった。結果、援軍の突入で不意をつかれた佐々軍は統率が乱れ、退却に追い込まれたのである。
戦後、永福とその夫人の活躍を利家は大いに讃えた。それどころか、自らが亡くなる際にもわざわざ遺産として二人それぞれに黄金を贈ったというから、奥村夫婦の奮闘によほど感謝していたのだろう。

kojodan.jp

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