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【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】城にまつわる面白い話③――「爆発炎上」した城?・信貴山城

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本項の最後に、一風変わった最期を遂げた伝説をもつ城について紹介したい。
大和国は信貴山城(奈良県生駒郡)――その結末は「爆発炎上」だというのだ。

この地には、古くは楠木正成が城を築いたという伝説があり、戦国時代には木沢長政(きざわ ながまさ)という武将が大規模な城を築いたが、これは炎上している。その信貴山城を再興し、拠点としたのが松永久秀(まつなが ひさひで)である。
久秀はもともと近畿に大きな勢力を誇った三好長慶(みよし ながよし)の側近であったが、彼の死後に自らが大きな力を振るうようになった。この時期、時の将軍。足利義輝を死に追い込んでいる。ところが、義輝の弟・義昭を奉じた織田信長が上洛してくるとあっさり降伏し、以後は信長の配下として重用される。

――これで終われば話は簡単なのだが、天下の梟雄・松永久秀はそんな人物ではなかった。彼は信長に対して三度も謀反を起こしているのだ。一度目は降伏したので許されたが三度日、1577年(天正5年)に上杉謙信の侵攻に呼応して挙兵した際には、さすがにそうはいかなかった。
信貴山城に籠もった久秀は、瞬く間に織田軍に包囲され、追い詰められる。この際、信長からは「秘蔵の茶器・平蜘蛛の茶釜を差し出せば許してやる」という連絡があった。しかし、久秀はこれを受け入れない。

それどころか、茶釜ごと、そして自分ごと城を爆破・炎上させるというすさまじい最期を遂げて見せたというのだ。なんとも壮絶な幕切れである。
残念ながら、近年ではこの説は信憑性が薄いと見られ、久秀は切腹したとされるようになった。やはり彼にふさわしい死は派手な爆死であると人々が思ったからこそ、この伝説が広く語り継がれたのではないか。

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