攻城団ブログ

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二条城で開催された学芸員解説会に参加してきました(二の丸御殿・大広間四の間)

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昨日は朝から二条城で開催された「学芸員による障壁画解説会」に参加してきました。
現在二条城では二の丸御殿・大広間四の間の特別入室を実施していて、それにあわせてのセミナーです。コロナ禍ということもあり参加人数は30名限定の抽選制ということでしたが、運良く当選したので行ってきました。

結論から言うと、3年前の夏にもまったく同じ組み合わせ(大広間四の間の特別入室&学芸員解説会)で開催されていたので内容はほぼ同じでした。
申し込んだ際はすっかり忘れていたのですが、松本学芸員が話されているのを聞いていて、なんか聞き覚えがあるなあと思って攻城団ブログを検索したらめちゃくちゃ詳細にレポートを書いてました。

blog.kojodan.jp

ちょうど二条城が松鷹図の筆者は狩野山楽だと公式に発表したタイミングだったのでその根拠などを丁寧に話されていたのを思い出しました。
ということで、むしろ前回のほうが内容が濃かったので、上記の記事を読んでいただくのがいいかなと思います。

あらためてぼくも読み返したんですけど、定説とされてきた狩野探幽が永徳様式を模倣して描いたのではなく、永徳の弟子である山楽が描いたと推定していくプロセスはとてもおもしろいし、勉強になりますね。
当時の狩野派内部の序列を書状の署名順や行幸御殿での担当割当との比較などで考察し、さらに探幽らの年齢(探幽は20歳そこそこで、山楽は60代後半)を踏まえた上で、明らかにテイストの異なる大広間四の間の障壁画を見ると、やはり四の間だけは別人が描いたと考えるのが自然で、この時点でそれを担当できたのは山楽だろうと。

いちおう昨日もノートを取りながら聞いたのですが、ほぼ前回のブログにありました。前回の記事になかったネタだけ、箇条書きですが書いておきます。

  • 後水尾天皇は一般的には「ごみずのお」と読むけど、京都の一部の先生は「ごみのお」と読む
  • 本丸堀の深さは約5mほどあるらしい
  • 大広間四の間の障壁画はぜんぶで46面、格天井にはめられた天井画は78面、釘隠しは34枚

あと投影されたスライドはほぼ撮影してきたので共有しますね。
(1、2枚撮れなかった)

狩野派の話はいずれ攻城団テレビでもやりたいですね。
それと二の丸御殿を歩きながら、二条城のガイドツアーも早く再開したいなとあらためて思いました。

kojodan.jp

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